SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと8 献血

 私は,まだ20代の頃,日本海側に住んでいた。県庁所在地であるが,それほど賑やかでもなく,冬はめっぽう寒かった。都市活性化のため,あちこちに大きな道路を建設中であった。それは,開通まで約30年を要した。道路ができる頃には,日本で最も人口減の激しい地方となったのだから皮肉である。

 

 勤め始めたころ,会社に程近い,専用の宿舎に1人で住んでいた。平屋の一軒家である。勝手口から右手に和室が四畳半,六畳,四畳半と3つ並んでおり,左手がトイレ,台所,風呂場が並んでいる。これだけ書くと,1人住まいでは贅沢に聞こえる。しかし,昭和40年頃にできた,ブロック造りの古い宿舎だった。コンクリートブロックには断熱材が入っていないため,冬の寒さはきつかった。昼間でも,台所の水道が凍り付くことがあった。さらに防水性が悪いため,冬に部屋を暖めると壁が汗をかくのである。そのため,ちょっとほっておくとすぐカビが生えた。しかもトイレは肥溜め式で,これも油断するとハエの巣窟になるのであった。

 

 県庁所在地といっても,以前は独立した港町で,市街地から北に,かなり離れた場所にあった。海岸に近いこともあり,砂地である。3部屋続きの外側が庭になっていた。完全な砂地である。雑草が生えない代わりに,一般の内陸の植物も育たない。車の車輪が砂にはまってしまうこともあった。

 

 同僚の上司が,親戚に手術を予定している人がいると言った。その地域の慣習で,手術をするときは,何人かの献血をお願いされるということだった。そこで,若い私に献血を頼みに来たのである。血液型は何でもよく,とにかく人数だけを指定されているらしい。私はそれまで,献血をしたことがなかった。なにぶん気の弱い人間である。必要もないのに,針を腕に刺すなど,考えたくもなかった。しかし,今回は上司の頼みである。断るわけにはいかない。その上司自身は,採血しないとのこと。なんでも,恐怖で気を失いそうになるそうだ。それはないだろうと思った。

 当日は,上司の車で送ってもらった。場所は市内にある保健所である。建物の中に入り,採血する部屋に行く。ベッドに横になって腕を出し,採血してもらうのである。手を出すところに仕切りがあり,向こう側に採血用の機器があった。採血中は,それが見えないようにしてあった。私は,左手を出し,袖をまくった。右手は,テニスでラケットを持つ方なので,注射のときはいつも避けている。チクッとして,しばらく待てば…,と比較的気楽に待っていた。

 

 仕切りの向こうから,注射器が見えた。私は,ドキッとした。「ふ,太い…!」思ったより,針が太いのである。嫌な予感がした。「刺しますよ,手を結んでください」女の声がした。ブスッと来て,またドキッとした。痛い!かなり血管が痛いのである。こんな痛い採血は初めてだ。「はい手を開いて,ゆっくり結んだり,開いたりしてください」私は指図通りにしたが,とにかく痛い。叩かれたり,つねったりした痛さではなく,痛苦しいのである。のちにワクチンを打つ経験をするが,その針の細さと,打った時の痛みの少なさに驚いたものだ。

 

 「早く終わらないかな…」そう思っていると,逆に非常に長く感じることは,だれでも経験するものだ。だんだん緊張して,冷や汗が出てきた。わきの下は,汗でびっしょりだ。そのうち世界がくるくる回り始めだ。「オー痛い」まいってしまった。かなりしばらくして(私の体感時間では),「終了です」という声がして,針が引き抜かれた。抜くときも痛い。

 ホッとしたつかの間,急に気分が悪くなってきた。緊張による精神作用であろう。私は看護師に言って,しばらくそのまま寝かせておいてもらった。心臓が弱々しく鼓動し,気を失いそうになりなる。その間,不整脈まで起きた。何分か横になり,やっと気持ちが収まってきた。パニック障害といわれるものであろう。

 

 私は,大学生の時,2度同様のパニックに陥った。一度目は,1年生の時。夜に不整脈で目覚め,その後何分かに1回不整脈が起きるので,パニックになった。初めてだった。当時体育会系のテニス部に入って活動しており,冬にシーズンオフとなってしばらくしてからだった。活動的だった季節から,冬になって急に運動をしなくなったためではないかと思っている。翌日,慌てて実家に帰り,病院へ行った。しかし,特に知見はなかった。緊張で,心拍数がかなり高かったために,不整脈も出る暇がなかったのであろう。心電図に異常はなかった。

 もう1度は,3年生の時。やはり3日程テニスをきつくやった次の日,休みのときだった。どうも気分が晴れない。昼になったので,近くの食堂へ行って注文した。混んでいたせいかなかなか注文したものが来なかった。そのうち,スーッと気を失いそうになった。心臓が止まるような感じである。私は慌てて注文を取り消し,アパートに帰った。帰ってからも,同じ症状が続いた。仕方なく同じアパートの友人を呼び,病院に連れて行ってもらった。このときもまた,心電図に異常は現れなかった。

 

 当時,まだ精神的な病が,そういう資質を持った人だけでなく,普通の人にも起きるということの認識がなかった。当時の精神科は,やけによくしゃべる人や自殺未遂の人,精神薄弱の人が通う場所だった。精神障害というにはグレーな人がいることの認識や発達障害などという言葉はまだ普及していなかった。何はともあれ,上司に笑われて,その日は帰ったのである。

 

 その後勤めてから,何度か精神科を訪れた。しかし,問診や処方薬に効き目はなかった。ところが,ある雪の多かった冬に,ひどい精神障害に陥った。朝,車で出勤する。圧雪時は,例年の冬よりもはるかに混んだ。それは,その前の年からスパイクタイヤが禁止になり,スタッドレスタイヤで雪道を走らなければならなかったからである。スタッドレスタイヤの制動能力は,スパイクタイヤに比べ極端に低かった。したがって,道路は非常に滑りやすかった。普段は20分ほどで到着する勤務先に,1時間かかっても着かなかった。到着しても,緊張による疲れが酷く,1時間ほど休息しないと,仕事を始めることができない。

 そうしているうちに,朝起きるとすぐに緊張感に襲われ,一日中緊迫感が取れなくなってしまった。そこで慌てて,医者に駆け込んだのである。その結果,精神安定薬を処方され,以来,薬を止めることができなくなった。実はその薬によって,私の性格が,かなり変わった。そのことについては,また別の機会に述べたい。

 

 さて,それから何年かして,また,献血をすることになった。理由は,前回と同じである。今度は別の上司だった。10人の献血が必要とのことで,声がかかった。私は嫌だったが,世話になっている上司の願いでは,断るわけにいかない。同じように献血を頼まれた人たちのうち数人と,上司の車に乗って,目的地へ向かった。今回は,赤十字病院であった。広い天井の高い部屋に集められ,問診のようなものが始まった。ずいぶん古い建物だなぁ,などとぼんやりしていたら,私の番になった。机の向こうに座っていたのは,やせぎすの,細い目が吊り上がったナースだった。おばさんナースは言った。

 

「何か,既往症はありますか?」

「いえ,ありません」

「手術をしたことがありますか?」

「ないです」

「現在,薬を飲んでいますか?」

「… ええ,緊張を和らげるものを飲んでいます」

間髪を入れずに,ナースは言った。

「どうもありがとうございました」

 

ナースおばさんは,歯磨きセットを私の前に出した。

 

「…え?」

 

私は,とっさに意味が分からなかった。「おひきとりください」と言われて,あ,用事がないということか,と合点した。薬剤を常用しているものからは,献血を受けないということだ。そのようなことは,私は全く知らなかった。

 

 帰りの車の中で,「すみません役に立たなくて」と詫びた。「いいんだ,いいんだ,ありがと」と上司は言った。大変男気のある,優しい上司だった。私は,車の中で,とても居心地の悪い思いをしながら,家に向かった。

 

献血なんか,二度とするものか」