SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと9 くすり Ⅰ

 私は人前で緊張する。誰でも同じというかもしれない。そうではないのである。言わば対人恐怖症だ。ただ,病気の名前でひとくくりにできない。それは,個人個人で症状が異なるからだ。これが,様々な局面で私の生活に影響する。電話や茶飲み話といった個人とのかかわりから,講演,講義といった大勢を前にするものまで大きく影響するのである。また,車の運転など,それ自身は人間にかかわらないが,何か起きた時に他人の迷惑になるだろうというものも含まれる。

 大勢の聴衆の前で講演することがある。観客の目が怖い。緊張が高まる。強い胸の圧迫感がある。頭脳は岩のように硬く,ニューロンを走るイオンは空回りして進まない。考えながらしゃべってはいる。だが,話の途中で色々な異なる発想や考えが浮かんでこない。通り一辺倒のつまらない内容で終わる。簡単に言えば,バカになるのである。また,汗もかく。最初はわきの下がぐっしょりぬれ,しまいには,上半身全体が汗でびっしょり濡れる。頭から,汗がしたたり落ちてくる。当然,ろくな講演にはならない。

 専門講座の講師になる場合も同じである。人数が多くなると,見られていることが怖い。おおよそ講演の時と同じになる。この状況で特徴的なのは,計算をするときである。単純な四則演算で,とんでもない計算ミスをするのである。よく知っている計算手順も,間違えるときがある。

 心許せる人と茶飲み話をしているときも,その性格が出てくる。最初の30分程度は楽しく会話をしている。しかし,それ以上長くなると,徐々に楽しさが緊張感に変わってくる。自分でも,何をしゃべっているのかわからなくなる。わきの下がびっしょり汗でぬれる。ある上司が,私を気に入っていた。彼は,私の父親と同じ年齢で,私と大学の同窓である。ときどき職場の私のもとを訪ねて来て,お茶を飲んでいく。それが,話し出すと長い。私も最初は楽しんでおしゃべりしているが,さすがに1時間を超すと,アウトである。早く帰ってくれ,という気分になるが,彼はお構いなしだ。

 私を訪ねてきた人に,悪い顔をできない。知らない相手からの電話もそうである。したがって,訪問販売やキャッチセールスに捕まると,追い返すのに四苦八苦した。嫌だと一言いえば,それで済むのである。しかし,それが出来ない。だらだらと説明を聞いているが,上の空である。

 私は,大学に入学してすぐにテニス部に入部した。半月ほどして,新入生歓迎会があった。最初は自己紹介である。自己紹介後,何か一芸披露せよということである。仕方がないから,桜田淳子の「くっくくっくー」を,手ぶりを入れて真似しようと思った(古い話で恐縮である。知らない方にはお詫び申し上げる)。さて,私の番になったのでやったが,微妙な雰囲気である。自分でもわかる。緊張してやっているので全く可笑しくないのである。また周囲の人たちは,はやし立てるにも,私の気の弱そうな様子を見て,何も言えないのである。私の場合は,いつもこうだ。緊張状態で何かを始めても,吹っ切れないのである。脳の回路がぎくしゃくして,うまく働かなくなる。

 以上,私の生来の性格が表れた具体例をいくつか示した。それが影響して,社会生活での不便さを感じることがある。大きいのは,人脈ができないことである。人と接するのを嫌うから,相手と必要な時以外話しをしない。したがって,その人から繋がる人脈を自分のものにできない。その結果,人づてに伝わる非公式な情報が全く入ってこない。周りのみんなが知っていることを自分だけが知らなかった,ということがよくある。

 

 勤めて10年以上過ぎた,冬のことだった。前年度から,スパイクタイヤが積雪のあるところ以外では走行禁止となった。仙台のように雪が少ない地域では,スパイクによってアスファルトが削られ,土埃,粉塵がひどいためだ。代わりにスタッドレスタイヤを履くように,という指導である。しかし,当時のスタッドレスタイヤは,スノータイヤに毛が生えた程度のものだった。したがって,凍った路面では,制動性能がひどく悪い。施行初年度は,雪が少なく,スタッドレスタイヤでもさほど危険を感じることはなかった。しかし,2年目はひどかった。タイヤが滑るから,朝の通勤帯は猛ラッシュである。勤務先まで,1時間以上かかった。当時は,まだマニュアル車が主体である。1時間「半クラッチ」でいると,到着するころには,左足がプルプル震えた。また,勤務先に到着してからも,1時間程度休まないと仕事にならないほど精神的に疲れた。

 当然,危険な目や事故にもあった。真冬のある日は,宿直明けだった。車に乗ってすぐに,路地から本通りに出る三叉路がある。朝早くに雪が降ったようだ。路地に新雪が積もっている。新雪ならば,ブレーキが効く。安心して路地を通り,本通りに出ようとした。間もなく三叉路というところで,軽くブレーキを踏んだ。その瞬間,はっとした。タイヤがロックしたのである。そうなると,どうしようもない。自動車が滑るに任せるだけである。顔面から血の気が引いたまま,ハンドルを固く握りしめた。車の先端が本通りにかかった。私は,もう駄目だと思った。その時,すとんと車体が下がって止まった。側溝にかぶせてある金属の網蓋にタイヤがかかったのである。九死に一生を得た。路地の路面を確認すると,新雪は薄く,その下は圧雪が凍ってつるつるになっていた。

 ほかにもいくつか怖い目に会った。そうしたある日の朝,目が覚めた瞬間から緊張を感じ,心臓がどきどきした。通勤中も異常に疲れる。やむを得ず,医者に行くことにした。

 

 精神科には,このときから10年以上前に,一度行ったことがある。常に胸につかえがあるように感じるためだった。話を聞いてもらい,薬も処方されたが,特によくなることはなかった。今思えば,緊張による心臓からの警告だった。その経験もあって,それほど期待してはいなかった。そして問診を受け,新たな薬を処方された。

 

 その時から,徐々に私の性格が変わったのだ。・・・つづく