SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと10 くすり Ⅱ

 精神科には一度行ったことがある。10年以上前だ。常に,胸につかえがあるように感じるためだった。話を聞いてもらい,薬も処方されたが,特によくなることはなかった。今思えば,緊張による心臓からの警告だった。その経験もあって,今回の診察は(これまでのこと9参照)それほど期待してはいなかった。そして問診を受け,新たな薬を処方された。安定剤の類と思われる。その時から,徐々に私の性格が変わった。

 

 最初に強く感じたのは,東京出張の帰り,羽田空港へ行くモノレールの中だった。私は,途中で居眠りをし,終点で隣の客に起こされたのである。私は,衝撃を受けた。これまで,乗り物内で居眠りをしたことが一度もなかったのである。それは長距離の電車であっても同じだった。そういえば,出張先でたまたま出会った同僚と茶店で会話したとき,違和感を覚えたのである。私は,人に何か話しかけようとするとき,いつも少し緊迫感を感じる。しかし,その時,まったくそれがなかったのである。したがって,いつになく多弁だった。緊張で頭が凍り付かないので,次々と話題が出てくるのである。

 

 その後は失敗の連続である。上司の客人を昼,私の車で空港へ迎えに行くことになった。しかし,私は午前中からテニスに夢中で,そのことをすっかり忘れ,すっぽかしてしまったのである。これまでの私には,まったく考えられない失態である。そういう約束をしたときは,朝からソワソワするのが,私の常であった。

 

 平常の業務においても,行動が全く変わってしまった。これまでは,電話をすることが苦手であった。相手に失礼ではないか。忙しいのではないか。いないのではないか等々,心配してすぐには電話できなかった。しかし,今や電話をしようと思ったらすぐに,受話器を握って相手の電話番号のボタンを押しているのである。

 

 女性とも普通に話せるようになり,てらいが無くなった。果ては,スーパーのレジや会社の食堂のおばさん,お姉さんにまで,へらへらと話しかけるのである。数人が集まる場所では,女性のために,ちょっとした花を人数分買って行って,配る始末である。これまで想像もできない仕業だ。こうすると喜んでくれるだろうなと考えることはあった。しかし,周りの目と花をあげる相手の気持ちをあれこれ考えると緊張し,そんなことは絶対できなかった。それが,周囲が全く気にならず,やりたいことを躊躇(ためら)わずにやってしまうのである。

 

 車の運転もかなりの緊張を強いられた。知らない土地を運転するのは気おくれがした。また,近くであっても,入ったことのない小道を行くことはできなかった。運転が終わると,ほっと胸をなでおろしたものである。しかし,今や自由自在である。通ったことのない路地をスイスイ走り,近道を見つけたりする。携帯をかけながら(道交法違反である),行ったことのない知り合いの家に向かう。

 

 それから10年ほどは,これまでと別人の「私」が活躍することとなった。人の話などを聞くにつれ,躁状態に近いように思う。しかし,ギャンブルにはまるとか無秩序に買い物をするといった,我に返ると困ったことになっているということはなかった。やはり,対人緊張が解けたことから,愉快な気分になったと判断していいだろう。

 

 これまでの緊張ばかりする私には,ありえないエピソードがある。私は,そのころ近所のテニスクラブに入った。会員権を持った正式な会員ではなく,安い年会費を払えば,土日,祝日に自由に行って無料でテニスを楽しむことができる資格である。そこは,40歳代以上の人たちが集う憩いの場となっていた。オムニコートが,並んで4面あった。これまでの私は,どぎまぎしながら時間をかけて仲間に入るのだが,周囲の人々が好意的に接してくれたこともあって,すぐに仲良くなった。そこには,同じ会社の上司もいた。渡辺さんという。バリトンのいい声をしている紳士である。私は,すっとぼけた,子供キャラで行動していた。だから,私を呼ぶときはいつも「君」である。その点,渡辺氏は「さん」づけて呼ばれる。40を越えて「君」はないだろうと思ったが,それは,意外に気に入っていた。

何かの話題で周囲が笑い,ちょっと会話の空いた時,私はぽつんと言った。

 

「渡辺さんは「さん」で呼ばれるのに,どうして僕は「君」なのかなぁ?」

 

一瞬の間をおいて,みなどっと笑った。私は,自分でも愉快な奴だと思った。自分のことなのに。従来の自分であれば,そんなことは言わない。言ったとしても,周りに真面目に取られてしまったであろう。おそらく,かける言葉がないはずだ。

 

 私は,人付き合いの良い,面倒見の良い人物になっていた。反対に,言うべきでないことを何も考えずに発言し,相手を傷つけることもあった。さて,前述のテニスクラブの他に会社のテニス同好会にも顔を出していた。若い人が多く,事務系の若い女性も多かったので,楽しかった。あるとき,女の子の一人がもうすぐ誕生日だということを聞き,ならば近しい人たちでフランス料理のフルコースを堪能しようということになった。私は早速,遠藤君という若い男子社員とともに会社の近所を探索した。有名店のフルコースでは,値段がかなり張る。若い人たちの給料では,有名店は無理である。そこで,足も便利な,近場に店はないかと考えたのである。

 間もなく,ネットや人の話から,近くに新しい店が開店したことを知った。早速,遠藤君と車で出かけた。ビル街へ車で行くことは,これまで大変苦手だった。駐車場があるかどうかわからず心配だからである。しかし,例によって全く気にせず出発した。比較的古いビルの3階だった。近いところに駐車場が2台分あるのを聞き,自動車をそこに止めた。囲碁,将棋クラブをやっているオーナーが,ビルの一角が空いたので,洋食屋をやり始めたところだった。オーナーと交渉した結果,宣伝効果を期待して,格安でフランス料理のフルコースディナーをやってもらえることになった。

 当日は,女性の友人を加えて4人で誕生祝をやった。ディナーは最高だった。最後のデザートもこれまで味わったことのない素晴らしいものだった。オーナーに厚く礼を言い,終了となった。その後,女性の友人を除く3人で,近所の茶店で談笑した。その時,何の話からか忘れたが,私の娘の話になり,小さい頃はかわいいだけだったが,そろそろ思春期だという話をした。女性は生理が始まるから大変だ。私は,女の子に軽い気持ちで聞いた。

「○○は,生理いつだった?」

遠藤君は,すかさず「それは,セクハラですよ~」と私をいさめた。私も,謝った。その場は特に波風もたたず,楽しくしゃべって解散した。

 

 次の日,女性からのメールを見て驚愕し戦慄が走った。

 

「あなたのいったことばですごくふかいでしたよくかんがえましたがわたしはあなたのいったことをゆるすことはできません」