SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと11 工学博士とB先生 Ⅰ

 私は,A大学から工学博士の学位を授与された。その時私は30代半ばで,論文博士である。これはB先生との出会いで実現した。先生に巡り逢わなければ,博士号も現在の職位もあり得なかった。以下,煩わしいので敬語を使わない。お許し願いたい。

 

 その5年ほど前から,会社で固体の振動解析をやっていた。新製品の振動を解析する必要に迫られたのである。特に,振動が時間を追ってどう変化していくかを知りたかった。振動が1方向のみの場合(1次元振動)は,解析的に答えを求めることができる。私は,電気的等価回路(抵抗,コンデンサ,コイルといった回路素子をつないだもの)で振動を表し,その等価回路を解く,という手順で計算した。励振源として圧電体を使っていた。圧電体というのは,電界をかけると寸法が変わる,力を加えると電圧が発生する固体である。電気入力で振動を起こすので,振動側も電気回路で表すと大変扱いやすいのである。しかし,振動が2次元,3次元になると,計算機で近似的に問題を解くしか方法がない。そこで,よく利用される近似解析法をいくつか試してみた。が,しっくりこない。実はどの方法でも解析はできるのである。しかし,そのほとんどは理論が難しく,相当大きなプログラムを書かないと解析できない。中には簡便な方法もあったけれども,精度が心配だった。私には数値解析の経験がないから,各々の手法の精度や注意点がよく分からなかった。

 

 そうこうしているうちに時間が切迫してきた。「これは,専門家に聞くのが一番手っ取り早いな」と考えていた。そこにA大学出身の先輩社員が,私のやりたいことを知って,こう言ってくれた。「電磁波の分野で面白い解析方法を提唱している先生がいる。最近すごい勢いで論文を書いているので,一度聞きにいかないか」私は,固体の振動(地震の揺れと同じ)を解析しており,その揺れは,固体中の圧力とひずみが作る波がもとになっている。電磁波も電界と磁界が作る同じ波であり,原理に変わりはない。私は,渡りに船という気持ちで,地方で開催される学会の研究発表会へ出かけた。そこで,その先生と指導学生が研究発表を行うからである。気の小さい私にとっては,大英断だった。

 

 B先生は,気さくな人だった。若干小太りながらがっしりした体格である。垢抜けしていないところが好感を持てた。挨拶を交わしたのは,夜の懇親会である。研究発表会の初日終了後に,近くの高台に建っているレストランで開催された。話を聞いたが,どうも要点がつかめない。失礼だが,馬力はあるけれどもクリアな頭脳の人ではないなと思った。さっぱりわからず,これは論文にあたってみるしかないと思った。困ったのは,B先生がこう言ったことだ。「私は弾性波(固体中の揺れの波)の知識がないので,あなたが一から作りなさい」えーっ,これは参った。会社人間の常で,基礎的なことはどうでもいいのである。使えるかどうか,どうやればいいのかさえ聞けば,それで良いのだ。

 

 会社に戻ってすぐ,B先生の論文を熟読した。計算の基本概念は,私が1次元波動で使っていたものを2次元,3次元に拡張したものだった。すなわち,読者には難しいかもしれないが,波動場(波が伝わる空間)を電気的等価回路で表現し,その回路を上手に計算するのである。2次元,3次元の等価回路は,空間的な近似である。電気回路を計算する方法は色々ある。その中でも先生の計算方法が個性的で,単純明快なのだ。したがってこの手法は,今まで勉強してきた私の知識がそのまま利用できた。偶然というには不思議な出会いである。思い返すと運命的だが,そのときはそう感じる余裕はなかった。私は早速,圧電体の1次元振動の解析に適用した。その電気的等価回路に,先生のユニークな計算法を使ってみたのである。このおかげで計算が非常に楽になり,学会発表も行った。また先生に連絡し,この考え方でよいか確認した。

 

 さて今度は2次元,3次元の理論化である。どう等価回路で表現するかが問題だ。あとは,B先生の計算法を機械的に適用すればよい。同じ波動でも,電磁波と弾性波は,その構成式がかなり異なる。したがって,そう簡単ではない。しばらくは,その問題ばかり考えていた。そういう時にセレンデピティは起こるものだ。会社のトイレから出て廊下を歩いているときに,ピンとひらめいたのである。私は早速A大学へ赴き,B先生と議論した。先生は慣れたもので,それをよりすっきりしたものに書き直してくれた。ちょうどその時,電気関係学会支部連合大会の講演申し込み最終日だった。先生は,ちょうどいいと言って,一緒に来ていた先輩社員とともに,申込用紙を手に入れるから,ここで書いて出すように言った。まずは手始めに2次元の場合を公表しようということである。申込用紙は,B4,1枚のレジュメを描くものであった。当時は手書きである。図を描くイラスト用のペンもなければ,解析,実験結果も手元にない。ひどいことを言うものである。私は等価回路の図を書き込めばよいので,まだましだった。先輩社員などは,実験結果を思い出しながら,フリーハンドで図に書き込んだ。私は,驚いてしまった。研究発表や論文というコト,モノに対するイメージが破壊された。ただ,これは行き過ぎだろうと今は思う。

 

 これがB先生のやり方だった。一区切りついたら,考えず研究発表をし,できるだけ早く論文にするのである。とにかく発表しなければ,研究はその意味を持たないという考え方であった。それが行き過ぎると,先の研究会の「締め切り当日申し込み」のようになるのである。もっとも,しばらくして慣れてくると,学会の人の顔も覚えてきた。それで,ひどい時には,締め切り当日に電話し,次の日の朝でもいいか聞いて出したりした。人間,慣れは怖いものである。いよいよ,この解析手法の初めての発表の日,私は,急いで計算し,データを持って行った。正直五里霧中で,データの正当性を確認するまでには至らなかった。だが,何とか数値データを持って行ったことで,B先生は喜んだ。まだしっくりいかないけれどもと思ったが,どうも先輩が先生に,私はまじめで優秀だと吹き込んでくれていたようだ。B先生が先輩に「その通りだね」と囁いていた。先生は,発表後,2次元の場合について,学会誌に投稿するよう私に言った。

 

つづく