SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと12 工学博士とB先生 Ⅱ

これまでのこと11からのつづき…

 

 ここから,B先生の私への思い入れがスタートした。すべてに自信と経験のない私に,表舞台に立たせてくれたきっかけを作ってくれた。さて,私は,せっかく1次元圧電体の計算もしたので,そちらもついでに論文にしたかった。したがって,2本の論文を並行して書いていた。もちろん2次元の計算も必要だったし,他にも仕事があったので,書き終わるのが1か月以上かかってしまった。そのうち,ある学会の全国大会が東京で行われ,そこで先生や先輩らと昼休みに集合した。先生から論文はどうしたと聞かれ,今書いているところだと言うと,先生が急に怒り出し「発表しなければ研究ではない,完璧を求めていては,いつまでたっても発表できない」と言った。それが,いかにも感情的ではなく,ここは怒らなければと考えてのことだと私には読み取れて可笑しかった覚えがある。先生の優しさがにじみ出ている。しばらくして,2編書きあがったので先生に郵送してみてもらった。当時はワープロが出てきたばかりのころで,今のようにメール添付などできなかった。したがって,校閲は印刷した原稿ゲラで行っていたのである。先生は,2編も書いていたのかと言って喜んでくれた。先生からの直しを入れて学会誌に投稿した。

 

 2か月ほどして,査読通知が来た。2編とも条件付き採録だった。条件付き採録とは,査読者(提出論文を採録するかどうかを判断する人。普通,学会員の中から専門性を考えて,任意に選ぶ。誰が査読者かは秘密にされる。)からの,論文に対する疑問に答え,それを論文に反映させれば採録するというものである。先生に電話すると「分かったすぐ行く」と回答。え?すぐ行く?わざわざ?飛行機で?私は,びっくりしてしまった。先生の来訪に,先輩社員と飛行場まで車で迎えに行った。一通り会社で打ち合わせをした後,私の車で名勝地をめぐって歩いた。途中の砂浜で,先輩の持ってきた釣り道具を使い,先生と先輩が小一時間,海釣りをやった。行き当たりばったりなので,先輩の竿に小さなフグがかかっただけだった。夕方になり,先生の泊まるホテルに先生を置いて帰ってきた。あとで考えると,とんでもない接待であった。先生は,お酒が好きであった。夜は,近場の飲み屋街にご招待すべきであったのだ。若い私には,まったく思いつかなかった。苦い思い出である。2編の論文は,幸いにもその後採録となり,私の初めての論文となった。

 

 その後,研究をさらに進め,それをA大学が立地する地方で開催される研究発表会で発表した。その都度,先生には夜の飲み会に誘っていただき,様々な教えを乞うた。先生は健脚で,ちょっとした距離はすべて歩いて行くのであった。それが,またかなりの速足である。私は,仕事以外の時間にテニスを夢中でやっていたので,何とかついていけたが,先輩はヒィヒィ言っていた。

 飲み方も,しらふの時と変わらず愉快で,先生の優しい性格がそのまま出るという感じであった。また,終了後は決して我々に支払いをさせず,おごってくれる。私が払うと何度も言っても,有無を言わせぬ体裁で,気の小さい私はどうしても負けてしまうのであった。

 

 3次元の論文が出た頃,そろそろ外国の権威ある雑誌に投稿しようということになった。チャレンジするのは米国の学会である。それは,電気・電子・通信系をすべて網羅している学会で,個々の専門分野ごとにたくさんの論文誌を発行していた。先生は「電磁波とその応用」に関する学会誌に論文を投稿していた。「振動とその電気系への応用」は,また別雑誌であった。例によって先生いわく,和文誌に発表した論文の例題だけをちょこっと変えて出せばよいと言う。「おいおい,いいのかよ?」と思ったが,そう言うのだから仕方がない。私は記憶力,集中力ともに低レベルなので,英語は大変苦手である。喋る方は,幼稚園の会話程度で,通じれば仕事になった。しかし,リスニングはいつまでも駄目であった。海外に長期間いたことがないことが大きい。

 慣れない英文を書き,先生に見てもらって何とか投稿した。ところが,待てど暮らせど査読結果が来ない。とうとう半年が過ぎようとしたころ,やっと返事が来た。学会での査読結果は,6箇月以内に知らせるという規則があったからギリギリである。結果は不採録だった。理由は,英語が下手でわかりにくい,物理的には何も新しいものがない,ということであった。最後に,解析手法を専門とした他の雑誌に再投稿してはどうかというサジェスチョンがついていた。投稿した雑誌の研究者には,解析手法の新規性,有効性を明確に判定できないという理由である。なるほど,私の論文を理解できる研究者を探すのに相当手こずったということであろう。

 学会誌に採録されるかどうかは,慣れてくると見通しが立つ。しかし今回,先生の知らない雑誌であるから,採録可能性の予測との齟齬があったのである。この件はそれでおしまいとなった。

 

 しかし,これが後でずっしりと効いてくるのである。

 

つづく