SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと16 山川先生(小学校)Ⅰ

 この話は実話をもとにしたフィクションである。氏名は仮名であり,敬語を省略した。

 

 小学校5年生の時,山川という若い男の先生が担任になった。私の小学校では,3年ごとに担任が変わる。私のときは,1~3年生では女の先生,4年生では海野先生という,別の女の先生が担任だった。しかし,次の年の春,海野先生は,ほかの小学校へ転任した。そこで,5年生から山川先生が担任となったのだ。

 4年生の時の担任,海野先生は,国語の先生である。作文教育に力を入れていた。先生は,なぜか私に目をかけてくれた。先にも触れたが,私の作文をほめたのが,海野先生である。先生は,私が書いた,夏休みの作文を痛く気に入ってくれた。父が手を加えた,例の作文である。その作文は,私に知らされないまま,全国夏休み作文コンクールに応募された。それが,銅賞を獲得したのである。私は,大変嬉しかった。先生のおかげで「自分は文章を書くのが得意なのだ」という,あらぬ自信をつけた。

 

 さて,山川先生は,体育の先生である。背の高い,すっきりとした体形のナイスガイだ。男子生徒は一様に喜んだ。小学校では,男の先生が少なかった。

 

 ある日,ガキ大将が号令をかけた。日曜日の午後に,学校のグランドで野球の練習をするというのだ。5年生であるから,軟式のボールを使う本格的な野球である。近々,ほかの学校の生徒と野球の試合をやる。そのための練習ということだった。しかし,グランドに集合してみると,社会人のおじさんたちが,野球の練習をしていた。日曜日は,一般の人にグランドを貸し出しているらしい。仕方がないので,山川先生に頼んでみようということになった。山川先生は,新婚ほやほやで,学校の近くの借家に住んでいた。そこで,生徒10人ほどが,徒党を組んで山川先生の家に向かった。

 私が覚えているのは,昭和の木造平家である。玄関から庭に回ると,茶の間の縁側がある。そこに先生が浴衣姿で座り,隣にはきれいな奥様が正座していた。私の記憶の中では,一等キラキラ輝いて見えた瞬間である。先生は,大勢の子供たちの訪問に,びっくりしたであろう。みんなで,わいわいと事情を話した。先生も戸惑ったようだが,まずは様子を見に行こうということになった。

 先生は,浴衣姿のまま,子供たちと学校のグランドに出かけた。しばらく,野球をしている大人の人と話をしていた。そして,私たちのところに来て,正式にグランドを借りているので,やめてもらうのは難しいと言った。今でこそ,少し気を利かしてくれたらと思う。つまり,かわいい小学生のために,ちょっと時間を割いて野球を教えるなどしてくれてもよかったのではないか。しかし,そんな気の利いた時代ではなかったのだろう。残念ながら,練習は中止となった。

 晴天のある日,学校から帰って,玄関で「ただいま」と,元気よく声を出して家に上がった。しかし,返事がない。母は,居間にいる様子である。「ただいまってば~」と言って,私はランドセルを下ろしながら,茶の間から居間に入っていった。はっと見たら,山川先生が背を向けて座っているではないか。テーブルの向こうには,母がいた。山川先生が振り向いて,ニコッと笑い,

「いつもそうやって帰って来るのか?」

と言った。私はびっくりして,ドギマギしてしまった。家庭訪問の日だったのだ。見たことのない,私の態度が,山川先生には新鮮だったのだろう。私は繊細気質で,大人の前では,ほとんどしゃべることが出来ない子供だった。そのあとどうしたのか,皆目覚えていない。山川先生以外の先生を含めて,家庭訪問中に出くわしたのは,その日だけだった。

 社会科の授業の時のこと。昭和40年代初期の話だ。教科書に楽観論な文章が,書いてあった。「これからの農業,特に稲作は,大規模な機械によるものに変わっていくだろう」山川先生の実家は農家だった。先生は,若い人が農業を継がず,これからの農業は心配だ,という趣旨の話をした。先生の力説ぶりが,私の印象に強く残った。家に帰って,親にその話をすると,驚いていた。子供だと思っていた息子が,社会情勢の話をするのが,面白かったようだ。私も,教科書に書いてあることに反論する先生が,大変新鮮だった。教科書には,事実と異なる部分もある,という教訓を初めて得た授業であった。

 

 日吉という同級生の男の子がいた。三角おむすびをひっくり返したような頭で,髪を短く刈っていた。短躯だが,明るく活発な生徒だった。頭が非常によく,私の知らない知識をたくさん持っていた。勉強もよくできた。さらに驚いたことに,彼は参考書を自分で買って持っていた。私は,教科書以外に,そういった書籍があるのを全く知らなかった。山川先生が,教えているとき「先生,そこは違う。何々ではないか」と言う。先生が,理解できない顔をすると,参考書を持って教壇へ行き,参考書のその部分を指さして,先生に見せるのである。先生も「ほう」とか言って,感心している。「社会」だったと思う。理系の科目と異なり,社会には,資料の違い,将来展望など,指摘できるところが多い。私はそれを見て,かっこいいと思った。早速,親にねだって,参考書を買ってもらった。そのうち,私も日吉君と一緒に前へ出て行き,参考書の該当ページを指さすようになった。先生の間違い(本当に間違いだったのか疑わしいが)を正して,悦に入っていた。今思い出すと,なんとも失礼で,恥ずかしいことである。私は,繊細気質ではあるが,一方お調子に乗るのが好きな性格も併せ持っていた。

 

 こんな風に,5年生の頃までは,私は山川先生に好意的だった。それこそ,輝いて見えたのである。しかし,6年生になると,陰りが見え始めた…。

 

 先に触れた日吉君は,活発で好奇心が旺盛なためか,破天荒で注意力に欠けるところがあった。服装などかまわないところもあり,危なっかしかった。恐らく山川先生も,彼の優秀さに目をかけていた。よく,日吉君を廊下で捕まえて,何か注意をしていた。具体的に何を注意していたのか,私にはわからない。おそらく,その破天荒な行動に対してであろう。それを見ていて,私はうらやましかった。自分も個別に呼んでもらって,何か言って欲しかった。海野先生のように,かまって欲しかったのである。

 恐らく,山川先生にとって私は,最も嫌いなタイプであったろう。気の小さい,繊細気質である。真面目に見えて,本当はそうではなく,ただ人に批判されるのが嫌でそういう振る舞いをしているのだ。

 

 ある日,算数のテストがあった。その中に,記述問題がある。数式を書いて証明するのではなく,ある結果の理由を言葉で書く問題である。わたしは,それをどう書いていいのか悩んでいた。私の前の席が日吉君である。試験も終わるころ,日吉君が何を思ったのか,席を離れて山川先生の方へ歩いて行った。机には,試験答案がそのまま置いてあった。私は,見るとはなしに,彼の答案に目をやった。丸見えである。日吉君はそういうところがあった。悩んでいた記述式の問題の部分が目に入った。上手に書いてある。その時ピンとひらめいた。急いで,答えを書いた。文章は,日吉君とは異なるが,きっかけをもらったことに変わりはない。試験が終わった休み時間に,女の子が私のそばに来た。

「まさ君,日吉君の答案見たでしょう?カンニングよ」

私は,びっくりした。試験の最中に私の行動を見ている人がいたのか。

「見えたよ。でも写したりしていない」

と私は言った。「先生に言うから」とその子は言って,自分の席に戻って行った。先生から,放課後にでも何か注意されるかもしれない。それでも私は,見えた答えの文章がまったく異なるので,それほど心配はしなかった。しかし,先生から呼ばれることはなかった。ただ,今思うと,先生は私に真偽を聞いてもよかったのではないか。つまり,私が先生に正直に事の顛末を話すということで,この件は,はっきり区切りがついたのではないかと考える。今でも何かもやもやしたものが残っている。

 

 私は朝,登校して気が付いた。今日は,6年生全体でスポーツ大会の予行演習やる日だった。したがって,運動着を用意しなければならない。しかし,時間割とは無関係だったため,すっかり忘れていたのである。しかも,具合の悪いことに,私は学級の体育委員だった。運動着を忘れたとあっては,何とも恥ずかしいことである。今から,家に取りに行っても,始業時間には間に合わない。そこで,私は一計を案じた。急いで職員室へ行き,山川先生の机に向かった。

「先生,朝体調が悪くて,今日の予行演習を休もうと思ったのですが,今よくなっているので,参加してもいいですか」

と先生の前で言った。もちろん嘘である。私は高学年になって,嘘をついてその場を切り抜ける,という癖がついていた。山川先生は,私の顔をじっと見て「わかった」と言った。

 放課後,6年生は体育館に集合した。私は,平服のまま参加した。すると,なんと準備体操の時,各学級の体育委員は演壇に上れと言う。私は,しぶしぶ平服のまま壇上に立った。みっともなさすぎる。スピーカーから,山川先生の声がした。

「それでは,準備体操をします。ラジオ体操第一です。恥ずかしながら,我が〇組の体育委員は,運動着を忘れてしまいました。ごめんなさい」

体育館が笑いであふれた。私だけが,私服で壇上にいる。だから,誰を指しているのかは一目瞭然である。私はびっくりした。「どういうこと?運動着を忘れたことを知っていたの?」私は,体操をしながら頭がくるくる回った。私は,うそを見破られていたことに,大変ショックを受けた。それよりも,嘘とわかっていたら,朝,私に言ってくれればいいではないか。叱ってくれればいいではないか。大勢の前で恥をかかせる必要があるのか?

 そんな気持ちとは裏腹に,みんなの笑いで事が済んだという安堵感も,実はあったのである。

 

                                   つづく