SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと22 孤独-幼年期とTV,漫画

 私の意識,その芯には孤独がある。忙しい毎日の中で,ふと我に返る。そのとき,強い孤独を感じる。意識とは,様々な知覚を俯瞰し,自分に有意なように処理することだと考える。その処理が終わり,次の知覚入力が途切れたとき,私の意識はふと立ち止まるのだ。そして「自分って何?」と考え込む。

 

 そういう思いは,ずいぶん小さいころからあった。自分を客観視するには,多くの経験が必要だろう。幼児の世界は狭い。実体験だけでは,不足だと考える。では,何がその代わりをしたのだろうか。それは,様々なメディアを通した擬似体験だと思う。幼稚園に行く前後は,まさにTV,マンガの急成長期であった。それらによる擬似体験は,私の意識に大きく影響した。(当時は,「マンガ」ではなく,「漫画」だった。以下の幼年期の記憶では,「漫画」を使う)

 

 私が物心ついた頃,少年・少女漫画は活況を呈していた。すでに貸本漫画は衰退し,漫画専門の月刊誌や週刊誌が続々と発刊された。そして,子供たちは,自分の小遣いで漫画雑誌を買えるようになった。その後,私が中学生の頃,電車で大学生が漫画(恐らく「ガロ」)を読んでいる時代に突入した。私が幼稚園のとき,寝て起きると,枕元に漫画週刊誌が置いてあった。両親のクリスマスプレゼントだ。その頃には,私は仮名が読めた。ひょっとすると漢字には仮名が振ってあったのかもしれない。調べると,マガジン,サンデーは1959年刊行だ。価格は30円である。そして,漫画のすべての漢字に仮名が振ってあった。ただし,雑誌の表紙には仮名がない。

 私は病院の,灯りのついた廊下で,漫画月刊誌を読んでいた。ぼんやりとした記憶がある。幼稚園の年長のとき,卒園間際に退園して,母の実家に行った。そのとき,叔父(母の弟)が蓄膿症で入院し,亡くなった。その病院の廊下である。

 父の実家の縁側で漫画を読む自分を記憶している。叔父(祖母の再婚相手の子,父の種違いの弟)が残していった,雑誌「少年」の鉄腕アトムである。まだ,雑誌はA5判の小さいものだった。1950年代前半のものだろう。

 私の記憶は,漫画雑誌を読んでいたことだけだ。どんなコンテンツを読んだのか,上記のアトム以外は,全く覚えていない。そのアトムも,小さなコマが並んでおり,アトムが歩いていることしか記憶がない。話の筋は,全く思い出せない。記憶の定着には,それを何度か思い出すことが必要だ。当時の私にとって,雑誌を読んだこと「そのこと」が重要だったのだろう。

 

 幼児期の,漫画の思い出はその程度である。一方,TVの映像は記憶に残っている。TVの場合は,観る行為そのものが即,映像と結びついているからだろう。ただ,内容を覚えているかといわれると,大変心もとない。

 私は,TVを通じて,漫画の実写版を観た。鉄腕アトムまぼろし探偵,ハリマオ,少年ジェット,矢車剣之助,あんみつ姫七色仮面の記憶がある。もちろん,快傑ハリマオ,七色仮面は実写が先で,それに合わせてマンガが出版された。漫画「快傑ハリマオ」は,少年マガジンに連載された。手塚治虫が原作及び鉛筆下書きをし,石ノ森章太郎(当時,石森章太郎)が描いたとされている。手塚が石ノ森を推薦したらしい。石ノ森は,しぶしぶ引き受けた。だから,手塚の名前は出ていない。少年サンデー(小学館)は,手塚に専属漫画家になるよう申し出ていた。そのため,少年マガジン講談社)には描けなかったらしい。ただ,ハリマオは,山田克郎の児童小説「魔の城」が原作で,手塚ではない。

 ところで,当時の少年ドラマでは,月光仮面が有名だ。しかし,私は観た記憶がない。月光仮面は,私が物心つく前後の放送である。やむを得ないだろう。鉄人28号の実写版も放送されていたようだが,私は観ていない。

 TV番組で,一番強い記憶があるのが「恐怖のミイラ」である。全身を包帯でぐるぐる巻きにしたミイラが,生き返って動き出すのは,子供心に鮮烈な恐怖イメージを持たせた。私は,母や障子の後ろに隠れて,恐る恐るTVを観ていた。

 当時,妙にクリアに覚えているものがある。それは,メンコの絵である。10㎝くらいの直径の,丸いメンコだ。そのおもて面には,怪獣の絵が印刷してある。怪獣の下に「まりんこんぐわつよい」と自分で書きこんでいた。怪獣マリンコングは,フジテレビの特撮番組である。メンコに文字を書くくらいだから,よく知っていたのだろう。しかし,私は,それを観た記憶がない。これも,他の実写版と共に,少年画報,漫画王で漫画化されている。

 

 このように,私は,TV,マンガに晒された幼年期を過ごした。私の中には,ヒーロー,ヒロイン,悪人,SF,運命,生,死が蠢(うごめ)いていた。今,思えば,活字しかなかった時代に較べ,多様な経験をしたわけである。しかも,その経験は,しっかりと視覚の記憶を伴うものだった。人間は,ものを考えるとき,視覚イメージとしての記憶を頼りにする。そういう点でも,TV,マンガは視覚に訴える媒体だ。活字だけの本では,たとえ挿絵があったとしても,そう生き生きと視覚イメージを持てるものではない。

 

 私は,4,5歳のとき,ある強い疑念にかられた。自分は,本当に母と父の子であろうか。実は,両親は泥棒で,自分は,さらわれてきたのではないか。あるとき,そういう考えに囚われた。生まれた時の記憶はないのだから,出自に対する疑問は当然のことである。そして,一生懸命思い悩んだが,その思いつきをはっきり否定する証拠がない。そう考えると,ドキドキして不安になるのであった。何日かうつうつとしていたが,ついに私は,母に向かって問いただした。

「お母さんとお父さんって,本当は泥棒なんじゃないの?僕を誘拐して来たんでしょ」

 私の言葉に,母は「はぁ?」という顔をした。その後,母が何を言ったのか,記憶がない。私は安心し,それからは,そのような妄想を抱かなくなった。だから,きっぱりと否定されたのであろう。

 

 このエピソードは,自己を客観視していた証拠である。そして,孤独を感じた最初の記憶であった。その孤独感は,この後ずっと,私を悩ませ続けるのだ。

 

 

追記

 私は,幼稚園の年長のときに引っ越した。これは,6歳になる春からだと思っていた。ところが,最近アルバムを繰ってみると,半期過ぎた10月からであることが判明した。いつ記憶がすり替わったのか分からない。実は,これに限らず,記憶違いだったということを幾度か経験している。ふとした拍子に,記憶のラベルを付け間違い,そこからは新たな記憶に変わってしまう。特に多いのは,時期や年度といった,時間の記憶違いである。

 そういう意味で,日記をつけるのは,大事なことだ。他人には不必要でつまらないものであるが,自分史を語るうえで必要不可欠である。私は,日記をつける習慣がなかった。ただ,40歳前後から,メモを取るようになった。仕事量が増えて,その日にやるべきことを忘れそうで心配だったからである。そこで,毎朝,会社に着くとすぐに,その日のto do listをメモした。そうすることで安堵し,仕事に集中できるのである。逆に言えば,私の能力(記憶力だけではなさそうだが)不足のせいである。加えて,研究ノートがある。これも,大変貴重だ。今,「やることリスト」や「研究ノート」を見返してみると,ほとんど覚えていない。それも「まったく記憶のないもの」と「文字を見ることで記憶がよみがえったもの」がある。人間は「経験したものすべてを記憶している」と何かで読んだことがある。しかし,脳をたたいても,思い出せないものもたくさんあるようだ。

 今,J. Watson の “Genes, Girls and Gamow” (2001年発行,邦訳「ぼくとガモフと遺伝情報」大貫昌子訳,翻訳本2004年刊)を読んでいる。昔,古本屋で手に入れた。しかし,全く進まない。同著者の ”The Double Helix” がやけに面白かったので,こちらも期待していた。二重らせんの発見以降の顛末とRNAの研究,物理学者ガモフとの交流,そして女の子を追い求める旅。最後は,彼が結婚しておしまいだ。何が読みにくいか列挙する。

  1.  カタカナの人名が次々に出てくる。初めて登場する時だけ,その人物の説明が入る。だから,2度目以降は,覚えていないと誰だか分からない。しかも,本のどこで出てきたのかも忘れているので,調べるのが大変である。有名科学者ならともかく,彼のプライベートな友人など,覚えようがない。それでなくても,外国人の名前は覚えにくい。
  2.  場所(都市や大学,研究所の名前など)があちらこちらに飛び,その飛んだ場所が地図上のどこなのか分からない。①と違い,こちらは,ほとんど説明がないので,よけい難しい。世界を股にかけて,またアメリカ中を飛び廻っているため,著者のいる場所が分からないと,話の内容に混乱をきたしてしまう。一つ一つ,Googleマップで調べると,お安く海外旅行が楽しめるが,昨今そんな暇な人間はいないだろう。
  3.  物語性が,ほとんどない。年次を追った,出来事の羅列である。だから,ちっとも面白くない。「二重らせん」は,「DNAの化学構造の発見」を大団円としていた。だから,話の筋が,そこに向かって進んで行く。しかも,発見の過程で,怪しげな人間模様がある。それだけでも面白い。一方,今回の本は,彼の結婚がエピローグになってはいるが,そんなもの読者に何の興味があろうか?

 これら3項目に共通の問題は,日記と手紙をベースに書かれていることだ。したがって,起承転結がない。出来事の羅列,次々と変わる人,点々と移動する場所を,網羅的に横断する構成になっている。やはり,日記は人に見せるものではない。