3.1970年代のテニス
先にも書いたように,1970年代は,4大大会にプロテニスプレーヤも参加できるようになって間もない頃だった。1972年に男子プロテニス協会Association of Tennis Professionals(ATP)が組織された。そして,1990年から,ATP主催のトーナメント,ATPツアーが創設されて,現在の活動に至っている。2000年には,ランキング制度が制定された。大会のグレードや勝利数により,ポイントが付与され,ポイントの大小でランキングを決める。
実は,選手がプロと称して活動するのは,もっと前のことである。1926年,米仏の選手が,有料で試合を行ったことが始まりと言われる[1]。当時は,興行という形でエキシビジョンマッチを行った。例えて言えば,サーカスのようなものである。興行主もたくさんいて,選手が虐げられることもあった。そのために,ATP(Association of Tennis Professionals)という組織を立ち上げて,選手を守り,かつ統一的な興行を行うようになったのである。現在は,女子のための「女子プロテニス協会(WTA:Women's Tennis Association)」ができ,4大大会とATP,WTAを総括するWorld Tennis(昨年まではITF(International Tennis Federation)と称した)が頂点にあるというピラミッド構造で,プロテニスが運営されている。
[1] テニスナビ,「テニスの起源とプロテニスの歴史」https://tennisnavi.jp/article/knowledge/469627/#toc-7
私がテニスを始めた頃は,選手が着用する上着やパンツ,ズックや靴下まで,全て白でなければならなかった。更に,ボールも白一色だった。どんな歴史があるのかよく知らないが,いつの間にかテニスは白装束が習慣になった。テニスは,もっぱら貴族の遊びであったから,汗ジミの見え難い,白色の服やドレスを着用したという話がある。もっともらしいが,本当の所は不明である。白が緩和されたのは,1972年の全米オープンかららしい。それにならって,他の大会でも白以外の色が許されるようになる。丁度,プロ組織が整ったころからである。それでも,全英オープンだけは,未だに白に統一されている。さすが,イギリスだ。伝統が大好きな国である。今では,全英の白いユニフォームが,私には,むしろ異様に見える(最近,女子のみ黒のパンツが許された)。
当時のラケットは,ウッド(木)製だった。今では,ビンテージ目的以外に木製ラケットを見ることはない。
私は,最初他人のラケットを借りて練習した。ラケットによって,ずいぶんボールを打った時の感触が違うと聞いたからだ。その後,同級生のラケットを安く買い,しばらく使った。確か,ダンロップのラケットだったと記憶している。その後,自分でラケットを買った。フタバヤラケットのウイニングショットである。木製ラケットで,お手ごろな値段(1万円前後?)だった。
ガット(フレームに張る細い紐,ストリングス)も各種あったと思うが,初心者は,ナイロン系の安いものだった。先輩の中でも,こだわりのある,お金持ちの坊ちゃん学生は,羊の腸を使ったシープと呼ぶガットを張っていた。ただそれは,傷みやすく,頻繁に張り替える必要があった。価格も高く,一般人には使える人は少なかった。
ガットは,硬くて強く,フレームに張るには機械がないと出来ない。だから,専門店にガット張りを依頼しなければならず,ガット代に人件費もかかるので高価で時間がかかった。非力な人間は,そう簡単にガットが切れることは無かったが,力が強く,スピンをたくさんかける人は,よく切った。先般の先輩は,シープを新しく張ったその日にガットを切ってしまい,私は唖然としたものである。
木製のラケットは,フレームが変形することがある。湿ったり乾いたりを繰り返すと,自然に木が反って来るのだ。そこで,フレームを締めつけて,反りや歪みを防ぐものが売っていた。二枚の四角い枠をフレームの表と裏に付け,その枠をネジで締め付けておくもの(ラケットプレスと呼んだか?)である。そうやっても,3年も使えば,変形を避けることは出来ず,買い替えが必要であった。
現代の合成樹脂でできたラケットは丈夫で,めったなことで壊れない。しかし,これはこれで厄介である。毎年新しいラケットが発売され,性能が上がってくる。だから,まだ十分使えるにもかかわらず,新しいラケットが欲しくなってしまう。これは,まことに資源の無駄だと強く感じる。古いラケットは回収して,その分新作のラケットを値引きしてもらいたいものだ。
私は,大学卒業後,定期的にテニスをするようになった。1979年頃からである。そこで,使うようになったのが,カワサキラケットのオールマンだ。理由は簡単である。飛ぶ鳥を落とす勢いだった,福井烈選手が使っていたからだ。また,沢松和子さんもオールマンを使っていた。沢松さんは,私が大学生になった頃,キャリアの絶頂期で,ウインブルドンのダブルスで,アン・キヨムラ(清村?)選手と組んで,日本人として初めて優勝した。もっとも,同じオールマンと言っても,その選手に合わせてチューンアップするので,市販のラケットとはかなり違う筈である。
さて,初めてそのラケットのグリップを握ったとき,強い違和感があった。グリップの断面が丸く,握ってすぐにはラケット面がどこを向いているか分からないのである。これまで愛用していたフタバヤのラケットは,そうではなかった。グリップは,一般に6角形である。その六角形のうち,フレーム面に平行なグリップ面の幅が広く,フレーム面が何処を向いているか握った感触で分かる。ところが,オールマンはグリップの断面がほぼ正6角形。だから,握っただけではフレーム面の向きが分からない。軸のフレームに近い所は,フレーム面と平行な部分は横幅が広いが,グリップに近づくにつれてフレームの厚さ方向の面が太くなる。だから,左手でフレームに近い軸の部分を優しく掴んで,フレーム面を感じるようにした。慣れるまで,かなり時間がかかった。今考えると,フタバヤのラケットとの違いがあったのかと問われると,微妙である。
いまだに覚えている,当時のラケットを挙げてみる。木製では,カワサキのオールマン,フタバヤのウイニングショット,ゴールデンショットが懐かしい。1学年上で,静岡出身の人が部活のナンバーワンで,ゴールデンショットを使っていた。当時,豪のロッドレーバー,ローズウォール,ニューカムが,ベテラン選手として頑張っていた。米のキング夫人,豪のマーガレット・コート夫人が,最後の花を飾る時代であった。
二人については,ボビーリッグスとの喧嘩が懐かしい。戦前,戦後に活躍したボビーは,55歳となった1973年,女子テニスは爺さんのテニスよりレベルが低いとうそぶいて,コート夫人に挑戦状を突き付けた。コート夫人は,その挑戦を受けて立つ。しかし,あまりのことの重大さに強いストレスを感じ,ボビーに2-6,1-6のストレートで敗れた。コート夫人の落胆は察するに余りある。ついでボビーは,キング夫人にも挑戦したいと言った。キング夫人は,コート夫人の憔悴ぶりを見,また女子テニスの威厳をかけて挑戦を受ける決意をする。3万を超す観客が見守る中,キング夫人は,6-4,6-4.6-3(5セットマッチ)のストレートで勝った。キング夫人は,男女同権運動の旗頭であり,当時のテニス興行において,男女の賞金格差が問題になっていた。この勝利の結果,女子テニスの興行が活発になり,最近は賞金額も上がっている。
70年代に登場する若手選手は,クリス・エバート(ウイルソン木製),ジミー・コナーズ(ウイルソンの金属フレーム,スチールラケット(T-2000))。また,ベテランの黒人選手,アーサーアッシュのラケット(ヘッドのアーサー・アッシュコンペティション,これまでのこと33参照)が人気だった。当時,全英で5連覇したビョン・ボルグは,自分用に開発された,ドネー・オールウッド・ビョルンボルグモデルを使っており人気があった。木製であり,ガットも80ポンドと異様に強く張っていた。私の記憶では,日本でドネー・カワサキとカワサキの名前が入っていた。何故カワサキが入っていたのか分からない。オールマンを使っていた沢松和子さんが,プロで頑張っていた。その後,ナブラチロワが,ヨネックスのR-22を携えて世界のトップに立った。グラファイト(炭素繊維と樹脂で作られていた)製で,近代ラケットの走りであった。それまで,ヨネックスのラケットはバドミントン以外に見たことが無かった。
テニスボールに関して紹介する。ITF(国際テニス連盟)による規格によると,色は白色または黄色,表面は均一な布地で覆う,重量は56.0g~59.4g,直径は6.54cm~6.86cmと定められている。テニスの規則には「コンクリートのような硬い平面上で254㎝(100インチ)の高さからボールを落とし,134.62~147.32㎝の間にバウンドの高さが収まること」と記されている。テニスをする者にしては,かなりルーズな規則である。直径が3㎜も違えば,掴んだ時にかなり違いが分かるであろう。バウンドも,13㎝も違えば,打った時に,すぐにわかると思う。
大会によって使用するボールが違い,最近は,球足の遅いボールを使う傾向にある。ボールが弾むと速度が落ちるので,選手はそれだけボールに追いつきやすい。だから,ラリーが長く続くと考えられる。しかし,体が消耗品のテニスプレーヤーには,この遅いボールは大変評判が悪い。ラリーは短時間で終わらせたいし,大会ごとにボールの重さや弾み具合が異なると,それに対応するのが大変だからである。特に重いと,腕の筋肉や関節,腱に大きな負荷がかかるから,怪我をしやすい。
何故,硬式テニスはカッコよく見えるのか。それは,私が実際にテニスの練習をする中で,徐々にわかってきた。硬式のボールは,かなり固くて重い。ボールを片手に持って潰そうとすると,相当な力がいる。そのボールを打ち返すのだから,ラケットのガットも,強く丈夫なものである。実際にボールをラケットで打ってみると,ガットの中央付近に当たらないと,衝撃で手の中でラケットが回ってしまう。もちろん,ボールは殆ど飛ばない。しかし,ガットの中心付近に当たると,ラケットを振り回さなくても,ボールが遠くへ飛んで行く。
この飛びの良さが,初心者を悩ませる本性である。つまり,よく飛ぶということは,上手に打たないと,すぐアウト(コート外に出ること)をしてしまうことになる。そのために,ラケットを強く振るのが怖くなり,こわごわボールを打つことになる。そうすると,余計ボールはラケットの中心に当たらず飛ばない。強く振ればアウト,こわごわ振ると中心に当たらず(隠語で我々は普通「ガシャ」と呼ぶ)相手コートへボールが飛ばない,という悪循環に陥ってしまう。
それでは,上手に打つにはどうすれば良いか。ラケットでボールや羽根を打つという動作は,腕を振っているだけのように見える。しかし,実際は足が重要なのである。座ったままでボールを打ってみて頂きたい。腕が疲れるだけで,それに見合ったスピードのボールが打てない。人間の手の力は,大したことはないのだ。逆立ちしてみれば,足の力との差は歴然である。腕だけで身体を支え続けるのは難しい。それだけ腕の力は弱く,持続力が無いのだ。では,ボールを打つとき,どうやっているのだろうか?答えを先に言ってしまうと,腕はラケットを支えるだけで,ボールに力をかけているのは自分の体重である。つまり,足の運びを通して,ラケットに自重をかけているのだ。更に,自分の姿勢も安定させている。フラフラしていては,次のボールへの備えが遅れる。相手との間隔が近いときは,相手が打った瞬間にすぐ備える必要がある。これで,お分かりだろう?腕は振りつつ,ボールが当たる瞬間に力を入れて,ラケットをがっちり支えるのが主たる仕事である。当たる角度で右や左,上へ方向を変えて打つ。そして足は,体重をラケット面に掛けるようにバランスを取る。更に,打った後すぐに動けるように,構えているのである。だから,外から見ると,たいしてラケットを振っていないように見えるのに,ボールは勢い良く飛んでいき,体はバランスのとれた姿勢になる。これが,素人が見るとやけにスマートでカッコいいのだ。
~続く

