SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと28ー1 私とマンガー小学生時代

私が物心ついた頃のマンガとの関わりは,先に書いた。ここでは,小学校時代から現在まで,話を続けていきたい。マニアックなので,少々長くなる。最後まで,お付き合いいただければ幸いである。 小学校の時,マンガ入門書を手に入れたこと,歯医者の息子に感…

これまでのこと27 歯医者の息子

小学校1年生のとき,歯医者の息子と同級生になった。当時,彼はまごうことなき中流家庭のお坊ちゃまである。2階建ての「歯科医院」兼「自宅」には広い庭と池があった。日本庭園風の立派な庭である。正面から,外階段を上った2階が歯科医院の治療室だ。2…

これまでのこと26 防衛大学校を受験する

私の父は,自衛官だった。警察予備隊が発足したときに入隊し,定年まで勤めあげた。高小卒でノンキャリアの父は,退職時の階級は,1尉であった。ノンキャリアとしては,ほぼ最高位の位であろう。頭が良かった父は,主に事務方(当時の写真の付箋には,業務…

これまでのこと25 割烹着(かっぽうぎ)と炊飯窯(すいはんよう)

私が小学校に入った頃,父は家を新築した。祖父母の平屋では,狭くなったのである。当時は,叔父(祖父Gの子供)も住んでいた。叔父は,父より15歳年下である。だから,父にとって叔父は,弟というには年齢が離れすぎていた。祖母の実家は資産家である。祖…

閑話休題-余談から本題へ戻る

しばらく時間を置いた。執筆していなかったわけではない。書く内容に変化があったからだ。これでいいのかと,立ち止まってしまった。 このブログの出発点は,「せんつど(繊細さんの集い)」グループへの投稿である。HSPという言葉が,仲間内で飛び交ってい…

これまでのこと24 母のことⅡ~幼年期

私が生まれるとき,父は北海道の美幌(びほろ)町にある,自衛隊美幌駐屯地に赴任していた。美幌町は,網走と北見の間にある。女満別(めまんべつ)空港から,車でほどなくの距離だ。町の南は「屈斜路(くっしゃろ)湖カルデラ」の外輪山で,美幌峠という峠…

これまでのこと23 母のことⅡ~私の誕生以前

先に,母のことを書いた。母が亡くなるときに「私が感じた戸惑い」を中心に据えた。したがって,母の思い出が,まだ沢山ある。そこで,先に書かなかったものを中心に,ここに紹介したい。すべては,私の目で見,耳で聞いた話である。だから,私の思いが陰に…

これまでのこと22 孤独-幼年期とTV,漫画

私の意識,その芯には孤独がある。忙しい毎日の中で,ふと我に返る。そのとき,強い孤独を感じる。意識とは,様々な知覚を俯瞰し,自分に有意なように処理することだと考える。その処理が終わり,次の知覚入力が途切れたとき,私の意識はふと立ち止まるのだ…

これまでのこと21 教育実習Ⅱ

この話は実話をもとにしたフィクションである。氏名は仮名であり,敬語を省略した。 私は,担当クラスをじっくり観察した。まず目に入ったのは,女子生徒の2人組である。いつも二人でいる。そして,クラスメイトとは距離を置いていた。一人は背が高く,もう…

これまでのこと20 教育実習Ⅰ

この話は実話をもとにしたフィクションである。氏名は仮名であり,敬語を省略した。 私は,工学部4年生のとき,就活に失敗した。そこで,とりあえず卒業し,翌年度に再度就活を行うことにした。いわゆる「既卒」である。次の就活までに時間があったので,聴…

これまでのこと19 就活顛末記2

会社に着くと,驚いた。意外に多くの同級生がいたのだ。いよいよ,試験が始まった。能力テストは特に問題なし。専門の試験は,準備をしていかなかったので,あまりできなかった。続いて,性格テストである。私は,尖った自分を評価してもらおうという考えに…

これまでのこと18 就活顛末記1

私は,大学の工学部4年生になった。いよいよ,就活をしなければならない。私が工学部を選んだのは,まことにいい加減な理由からだ。その原因は,小さい頃に遡る。 私は,漫画が好きだった。幼稚園の頃には字が読めるようになったので,小学館の学年シリーズ…

これまでのこと17 山川先生(小学校)Ⅱ

これまでのこと16 からの続き この話は実話をもとにしたフィクションである。氏名は仮名であり,敬語を省略した。 クラスの男の子の間で,ちょっとした,いけないことが流行った。錠を開ける合鍵づくりである。クラスのガキ大将を中心にした10名ほどの集団…

これまでのこと16 山川先生(小学校)Ⅰ

この話は実話をもとにしたフィクションである。氏名は仮名であり,敬語を省略した。 小学校5年生の時,山川という若い男の先生が担任になった。私の小学校では,3年ごとに担任が変わる。私のときは,1~3年生では女の先生,4年生では海野先生という,別の…

これまでのこと15 野球同好会(社会人)

私は会社で,いっとき野球同好会に所属した。20代後半のことである。私はテニスの経験は長い。だから,野球に特別な興味はなかった。しかし,不思議に球技は何でもできた。いわゆる器用貧乏というやつである。そして,同僚の誘いもあって,何となく入会した…

これまでのこと14 工学博士とB先生 Ⅳ

これまでのこと13からのつづき… その後,機会があればA大学に寄って,B先生とお話しさせてもらった。難しい問題もまだ残っていたのである。B先生に教えを乞うていた初期の頃,研究室は,会社の人や高専の先生,大学院博士課程の学生などたくさんの人で大賑…

これまでのこと13 工学博士とB先生 Ⅲ

これまでのこと12からのつづき… さて,そうこうしているうちに4~5年が過ぎた。それまでに12編の論文が採録されていた。ちょうどそのタイミングで先生から電話があり,そろそろ纏めてはどうかという催促だった。すなわち,論文博士の申請をしてはどう…

これまでのこと12 工学博士とB先生 Ⅱ

これまでのこと11からのつづき… ここから,B先生の私への思い入れがスタートした。すべてに自信と経験のない私に,表舞台に立たせてくれたきっかけを作ってくれた。さて,私は,せっかく1次元圧電体の計算もしたので,そちらもついでに論文にしたかった。…

これまでのこと11 工学博士とB先生 Ⅰ

私は,A大学から工学博士の学位を授与された。その時私は30代半ばで,論文博士である。これはB先生との出会いで実現した。先生に巡り逢わなければ,博士号も現在の職位もあり得なかった。以下,煩わしいので敬語を使わない。お許し願いたい。 その5年ほど…

これまでのこと10 くすり Ⅱ

精神科には一度行ったことがある。10年以上前だ。常に,胸につかえがあるように感じるためだった。話を聞いてもらい,薬も処方されたが,特によくなることはなかった。今思えば,緊張による心臓からの警告だった。その経験もあって,今回の診察は(これまで…

これまでのこと9 くすり Ⅰ

私は人前で緊張する。誰でも同じというかもしれない。そうではないのである。言わば対人恐怖症だ。ただ,病気の名前でひとくくりにできない。それは,個人個人で症状が異なるからだ。これが,様々な局面で私の生活に影響する。電話や茶飲み話といった個人と…

これまでのこと8 献血

私は,まだ20代の頃,日本海側に住んでいた。県庁所在地であるが,それほど賑やかでもなく,冬はめっぽう寒かった。都市活性化のため,あちこちに大きな道路を建設中であった。それは,開通まで約30年を要した。道路ができる頃には,日本で最も人口減の…

これまでのこと7 父のこと

父の父,すなわち私の祖父は,満鉄に勤めていた。しかし,祖父は,父が生まれてすぐ,事故で亡くなった。祖母が一人で育てることになる。したがって,少年期は,かなり貧乏な生活を送った。祖母が働いている日中は,田舎の農家に預けられた。朝,祖母が,別…

これまでのこと6 祖父のこと

私が生まれた時,すでに父方の祖父は他界していた。父が生まれて間もなく事故で亡くなったという。祖母は,ずいぶん苦労して父を育てた。その後,祖母は私の知っている祖父と一緒に暮らし,男子を一人生んでいる。二人は籍を入れていない。祖母が,姓が変わ…

これまでのこと5 母のこと

母は,日本海側の海岸に近い雪国の出身である。言葉は,京風だった。父は,東北の内陸に住んでいて,生粋の東北弁である。母は,嫁いできてから大分経って,会話のアクセントは東北なまりになった。しかし,発音は京風のままだった。いわゆる「なまる」こと…

これまでのこと4 勉君(小学校)

私の通う小学校のそばに日本庭園があった。昭和40年前後である。庭園は正方形で,高さ1.5メートルくらいのカラタチの垣根で周囲をおおわれていた。入口から敷地に入ると,砂利を敷き詰めた30坪ほどの庭があり,正面に,お稽古事やサークル活動に利用され…

これまでのこと3 転園(幼稚園)

今回は,私が幼稚園時代の話である。いかんせん記憶の曖昧な部分があるので,時系列など内容に過誤があるかもしれない。その点は,ご容赦願いたい。私は,幼稚園の2年目,すなわち6歳で転園した。父が転勤で,その実家に住むことになったからである。 私は5…

これまでのこと2 池田さん(社会人)

私は40歳半ばで,別の会社に移った。前の会社では,年齢構成から昇任が見込めなかったからである。新しい会社で,私は製品試験部に配属された。そこで,池田さんという古参の上司と一緒に仕事をすることになった。池田さんは,会社創業時から在籍しており…

これまでのこと1 京子 (小学校)

私は,砂利道を急いで歩いている。いい天気だ。小学4年生も終わりに近い,3月の半ば頃である。私は,田舎ではあるが,県庁所在地の旧市街に住んでいた。5mほどの道幅の両側に,びっしりと家が軒を連ねている。八百屋,魚屋,肉屋,酒屋などが集まった一角…

はじめに

私は,60を超えた爺だが,あと少し定年まで間がある。 幼少のころから,何か生きにくいと感じてきた。学生の頃は,緊張しやすいという程度の認識だった。生きにくさを強く意識するようになったのは,勤め始めてからである。中年になって仕事のストレスが強…