SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと21 教育実習Ⅱ

 この話は実話をもとにしたフィクションである。氏名は仮名であり,敬語を省略した。

 

 私は,担当クラスをじっくり観察した。まず目に入ったのは,女子生徒の2人組である。いつも二人でいる。そして,クラスメイトとは距離を置いていた。一人は背が高く,もう一人はずんぐりした女子生徒である。しかし,髪型とか雰囲気がどちらも大人びていた。それとなく近づいて,話しかけた。二人とも鍵っ子だった。放課後は,家に帰ってもやることがないから,二人でブラブラしているという。クラブ活動(当時は授業に「クラブ活動」はなく,今でいう「部活」をそのまま「クラブ活動」と言っていた)は,周囲とうまくやっていく気がないので,入らないと言った。話し相手が欲しかったのか,私が教生で学校関係者でないことがよかったのか,二人は気さくに話し相手になってくれた。しばらくして,私は一計を案じた。ちょうど,教室の雰囲気が寒々しいと思っていた。私が中学生の頃は,誰が用意したか知らないが,教卓に花瓶が置いてあった。そこに,いつも数輪花が挿してあったのである。そこで,二人に500円札(硬貨ではない。札である)を渡し,何か見繕って花を買ってきてくれるよう頼んだ。彼女らは喜んで了解した。花瓶はどうしたのか記憶がない。もともとあったので,花が欲しいと思ったのかもしれない。2~3日した,ある日の朝,教室をのぞくと,可憐なリンドウとカスミソウが花瓶に揺れていた。どんな境遇にあっても,中学生はいい子なんだとつくづく感じた。

 

 ある日の放課後,アパートに帰ろうと学校を出て,グランドを横切ろうとした。正門から出入りすると,学校の広いグランドに沿って,大きく迂回しなければならない。しかも,グランドから校舎まで上り坂になっている。そのため,校舎とグランドの間には,段差があり,階段になっていた。したがって,雨の日以外は,グランドを通る方が近道で,楽である。慣れてくると,グランドを横切って下校するようになった。朝の登校時は,生徒も大勢いるので,さすがにそれはできない。グランドに降りようとした時,校舎のそばで,男子生徒3人が車座になっている。例の「うんこ」座りをしていた。中学校で教育実習を行うことが決まった時,真っ先に想像したのは,このような生徒である。しかし,それに関する知識は,たかが知れており,漫画を読んだことによるイメージが先行していた。ここで,私の好奇心が疼いた。私は,彼らに近づき,「クラブ活動はしないのかい?」と聞いた。背中を向けていた生徒が,いぶかしげに「あーぁ?」と振り向いた。それは,いかにも不良という顔つきである。私は,これはいかんと思い「良い,良い」と言って,声掛けを止めた。3人は,どっと笑った。彼らには,何を言っても駄目だと思ったのだ。しかし,後にも先にも,そのような生徒には二度と会わなかった。ほとんどの生徒が,ごく普通に見えた。そのような生徒は,そういう場でのみ明瞭になり,普段は,周囲の景色に溶け込んでいるのではないか。また後に流行する,ツッパリ特有のいでたちは,まだ見られなかった。先に述べたが,教育実習生は,不穏な現場に立ち会うということはなかった。70年代は,まだ平穏だったのである。

 次の日,クラスの生徒達にそのことを話すと,いつの間にか,私に「弱気先生」というあだ名がついてしまった。そのものずばりだが,私は気に入った。間違いなく,私そのものなのだから。そのうち,隣のクラスの生徒に知られた。休み時間に,廊下で男子生徒たちに「弱気先生」と呼び止められ,話しかけられた。私は,クラスの生徒の名前をほとんど覚えていた。同じように,隣のクラスの生徒の名前を直接聞いて,呼ぶようにすると,次から次へと名前を憶えてくれと言われて,閉口した。私は,子供たちが好きだ。緊張しやすい私でも,気を使う必要がないからである。さすがに中学生になると,難しいかなと思っていた。しかし,まったく変わることがなく,可愛いだけだった。

 

 その日は天気が良かった。午前中は,2年2組以外のクラスでの授業である。礼をし,出欠を取った。これが結構,時間がかかる。名前が読めない生徒や,変わった読み方の名字があるので,あらかじめ調べていく。そのクラス担当の実習生に聞くのが,手っ取り早い。現代では,殆どの生徒が,不思議な読み方の名前を持っているので,調べてもわからないことが多い。当時は,そういうことはなかった。それだけに,うっかり間違えて呼ぶと,間違えられた生徒は気分がよくないので,気を使った。授業を始めると,このクラスもシーンとしている。当たり前なのかもしれないが,あまりに静かなのでむしろ不自然に感じる。放課後の彼らは,活発で賑やかだからだ。

 クラスを廻って,私が板書したことが書けているか見ていくと,一人テキストもノートも机上に出していない男子生徒がいる。「教科書は?」と聞くと,「持ってきていません」と言う。そういう生徒もいるだろうと思っていたので,特に変には思わなかった。私は,教卓へ戻って,レポート用紙を1枚とり,彼の机に置いた。「メモくらい取りなさい」と彼に言って,教卓の方を振り向いた。

 

 その時,私の背中に軽い圧力を感じた。振り向くと,彼は,万年筆を5本束ねて,右手に持っていた。皆キャップがついていない。

 

「あ,やったな」と思った。私の背中にインクを振りかけたに違いない。万年筆は,当時流行していた,様々な色のインクのものだった。持ち手やキャップ部分はプラスチックでできており,色とりどりである。多色のインクと共に,安価で人気があった。私は,その時,真っ白な開襟の半袖シャツを着ていた。背中は,さぞ極彩色のしずくで綺麗なことだろう。教室から,女子生徒数人の「うわぁ,ひどい」という黄色い声が上がった。私は「やられた」と思った。しかし,中学校に行くと聞いた時から,そういうことは起こり得ることと,あらかじめ思っていたので,そう大きなショックはなかった。むしろ,教室がそれで騒然となることを心配した。私は,彼に「こら!」と普通の声で言って,頭を軽くしごいた。あとは,どぎまぎしながら,授業を再開した。さすがに教室は,ざわついた。私がじたばたせずにいれば,そのまま授業は進行する。

 授業を終えて,実習生の詰め所に帰り,そこにいた人たちに事の顛末を話した。かなりの同情を誘ったが,私自身は,割り切っており,結局バスを乗り継いで家に帰るまで,シャツの背中がどうなっているか見ることもしなかった。もちろん,そのシャツはお釈迦である。

 さて,教員にこの話が伝わった時,かなり衝撃を与えたようだ。先生方と私とのとらえ方のギャップに,ただ戸惑うばかりだった。次の日,担任の男先生が当該生徒を連れてやって来て,私に詫びた。何がどう動いたのか,私は知らない。ただ,男子生徒が本当に悔いているとは思えなかった。

 

 教育実習は,そうやって慌ただしく終了した。ここに挙げた事の他に,一緒に教室の掃除をしたり,目立つ生徒に将来のことを聞いたり,女子生徒のソフトボール部に声をかけ,教生チームと試合をしたり,とても密度の濃い2週間であった。正規の先生と異なり,教育実習生は,生徒に対する責任がない。したがって,私は,ただただ楽しかった。新しい環境では,気分が高揚する。それも手伝ったのかもしれない。私は,昔から子供が好きだった。中学生も同じように子供で,楽しく付き合えることが嬉しかった。もちろん,先生と生徒という,厳然たる立ち位置の違いは大きい。そうであっても,この仕事は,自分に向いているのではないかと強く思ったものである。

 

あとがき

 本編を書くにあたり,当時の出来事を思い出そうとした。しかし,場面のイメージは,個々に湧くが,前後のつながりがない。また,会話を含む,文字列が全く思い出せない。実は,配布されたプリントや日誌を大事にしまっていた。ところが,例の断捨離ブームの中で,「私しかわからない,他人には用のないもの」のくくりで,捨ててしまったのである。大失敗,後の祭りだ。まさか,回顧録を書くなど,若い頃には思いもつかなかった。