SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと2 池田さん(社会人)

 私は40歳半ばで,別の会社に移った。前の会社では,年齢構成から昇任が見込めなかったからである。新しい会社で,私は製品試験部に配属された。そこで,池田さんという古参の上司と一緒に仕事をすることになった。池田さんは,会社創業時から在籍しており,定年を間近に控えていた。小柄だが元気いっぱいで,優しい人だった。私は,緊張しやすい性格なので,それは大変ありがたかった。しかし,困ったこともあった。製品試験部には,いくつか実験室がある。池田さんと使うことになった実験室は,主に池田さんが使っていた最も古いものだった。実験室のガラス戸の戸棚には,測定機器がしまってあった。しかし,それらは古く,現在の仕様に耐えるものではなかった。また,それ以外の,中の見えない棚には,何が入っているか全くわからない。さらに,棚の空いている部分には,所狭しと,池田さんお手製のものが大量に,無造作に置いてあった。それらはいったい何に使うのか,ほとんどわからなかった。当面使うものは,池田さんに聞いて何とか確保した。また,必要最低限の測定器は新しく購入してもらった。それ以外のものは,聞くのも面倒なのでそのままにしたが,池田さんが会社を辞めた後,片付けることを考えるとぞっとした。

 

 実験室の件を除けば,私と池田さんの関係は良好だった。池田さんは,役員会の仕事の合間を見ては,私の話を聞いてくれた。時間があれば,お茶を飲み,世間話をした。ある日,私がskypeで,前の会社の同僚で,入社したての若い女性とこっそりビデオ通話をしているとき,池田さんが,いつの間にか隣にいて,話を聞いていた。

「ほう,結構よく映るんだね」

「あ,驚いた。池田さん,す,すみません」

「このカメラで,あなたを写しているの?」

 当時は,ノートパソコンにカメラは搭載されておらず,Wi-Fiもなかった時代である。有線で情報コンセントとデスクトップパソコンをつなぎ,モニタにウェブカメラを接続して使っていた。池田さんは好奇心旺盛で,私からヘッドセットを奪い取ると早速画面に話しかけた。

「○○会社の方?私は,株式会社××の池田と申します。…ええ,ええ,なにもかまいませんよ。彼はうちの会社のことは,まだ何も知りませんから」

 池田さんは,相手が若い女性だとわかると,私にウインクして,小指を立てた。

「い,いや違います。ただの,かつての同僚です」

 私は,慌てて否定した。その後,3人の会話は,大いに弾んだ。

 

 その会話の中で,思わぬことを聞いた。池田さんは,早期の胃がんで手術をしていた。その後4年ほどたっており,定期的に検査を受けているということだった。普段の池田さんは,とても元気で,そんな風には全く見えなかったので,私は大変驚いた。

 

 私は生来,人と話をするのが苦手だった。特に話題がなくなり,会話が途切れる瞬間がたまらなく嫌だった。人間はリラックスしているときに頭が回転する。緊張していると,次の話題が全く思い浮かばない。しかし一方,相手に失礼なことや,相手の欠点を平気で言う一面もあった。何故なのか不思議だった。人一倍,他人によく思われたいくせに。緊張で,相手の気持ちをおしはかる機能がマヒしてしまうのだろうか?それとも,ぼろぼろの自尊心を,そんな方法でしか維持できなかったのだろうか?

 

 また,私は,朝礼で話が出ること以外は,会社の内情を全く知らなかった。つまり,会社の中の人同士のかかわり,確執といった表に出ないことに無知だった。それは,人とこまめにかかわることがなかったからである。一般の冠婚葬祭やあいさつ,言うべきこと,言うべきでないことといった事についても同様であった。

 

 入社してしばらくしてから,池田さんが,時々休むようになった。私は,心配になって,どうしたのか本人に話を聞いた。話を聞いて驚いた。あまり具合がよくないので,手術をした病院で検査を受けたが,異常は見つからなかった。しかし,いつまでたっても,よくならないので,思い切って,別の総合病院で診てもらったところ,胃を切除して縫合したところに,新たながんが見つかった,という。この後しばらく入院し,抗がん剤治療を受ける予定だと話した。その後,池田さんは入退院を繰り返すことになる。体調が悪くても,池田さんの責任感は人一倍だった。池田さんは,あるセミナーの幹事をしていた。自ら会議場を予約し,懇親会場として温泉旅館を手配した。そして,池田さんは自分の車に私を乗せて会場の下見をした。旅館から入浴券をもらったので,私に入って行けという。断ったが,強く勧められて,一人で温泉につかった。温泉からでて,ロビーに来ると,池田さんが,一人ポツンと座っていた。私は,申し訳ない気持ちでいっぱいになった。セミナー当日,池田さんは,開会のあいさつをしたが,それに続く会議には参加できなかった。私は,2階の会議室から,辛そうに車に乗り,帰っていく池田さんを見送った。その後,池田さんは,全く会社へ来なくなった。

 

 そうしたある日,たまたま体調が良いからと言って,池田さんが出社してきた。私は,急いで池田さんの部屋に行った。池田さんは,ひどくやせていた。病気の具合を聞き,最近の会社の様子などを説明し,池田さんがいないと,いろいろ困ることが多いことを話した。そのうち,池田さん出社のうわさを聞きつけて,役員や同僚の人たちが,4~5人一緒に池田さんの部屋に駆け付けた。「大丈夫ですよ。今の薬はよく効くから。」「副作用がきついかもしれないけど,安心ですよ。」「すぐ元気になりますって。」皆それぞれに,池田さんを元気づけた。私も池田さんの体がとても心配だったが,それに加えて,池田さんがいなくなれば,自分一人で実験室の整理をするのは途方もないことのように思えた。みんながそれぞれ,最後にもう一度激励の言葉をかけ,部屋から出ていこうとしたとき,私は心から,力強く言い放ったのだった。

 

 

「池田さん,死んじゃだめですよ」

 

 

 部屋中が一瞬で凍り付き,みな足を止めて,一斉に私を見た。池田さん本人も,戸惑った表情を見せた。私の頭は,真っ白になった。

 

 それから間もなく,池田さんは,奥様と娘さんに看取られて自宅で亡くなった。

    (これは事実をもとにしたフィクションです。登場人物の名前は仮名です。)