SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと28-2 私とマンガー中学生時代

 中学に入ると,マンガ雑誌やマンガ単行本が買えるようになった。単行本と言っても,1つのものを全巻揃えるほどの懐具合ではない。だから,最後の巻やお気に入りの絵の入った巻を1冊買い,大事にしまっておいて何度も読んだ。また,それを手本に,絵の勉強もするのだった。

 好きだったのは,石ノ森章太郎だ。彼の人物画はポーズがカッコいい。彼の真似して,たくさん人物画の練習をした。しかし,なぜカッコよく見えるのか,中学生の私にはわからなかった。小学生の時と同じである。その理由が分かるのは,ずっと後になってからのことだ。

 石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の単行本を持っていた。「地下帝国ヨミ篇」のラストの巻だ。使命を果たし,宇宙空間に漂うジョーこと009。そこにジェットこと002が近づいて来る。そして彼はジョーを抱き締め,自分の残り少ないジェット出力を使って,地上に向かう。せめてジョーを,地球の好きな場所に落としてやりたいと思ったのだ。大気圏に突入し,ジェットがジョーに聞いた。

 「ジョー,きみはどこにおちたい?」

 地上では,日本の姉妹が物干し場(懐かしい)で夜空を見上げている。そこに流れ星(ジェットとジョーが地上に落ちてくる暗喩と思われる)が見えた。2人で願い事をする。姉は「世の中から争いごとが無くなりますように」と願った。完璧なラストである。これ以上のものを見たことがない。

 その巻は大事にして,何度も読み返した。ところが,親戚の小学生が家に来た時,母がそのマンガ単行本を,その子にくれてやってしまった。母にとっては,ただの読み捨ての漫画本に写ったのだろう。私は,非常に落胆した。

 

 中学2年になって,貸本屋を知った。私が同級生に,漫画単行本が高くて買えないと言ったところ,彼は「貸本屋を利用すれば?」と答えた。彼の家の近所にあるという。その話を聞いた時,私は彼に偉そうに言ったものだ。

 「自分は1冊気に入った本を買って,じっくり読むのが好きだから,借りて読む気は無いよ」

 しかし友人は「騙されたと思って1度借りてみればいい」と誘ってくれた。私は「そこまで言うなら」と,彼に付いて行くことにした。そして,私は,すぐに貸本屋の虜になってしまったのだ。

 貸本屋は,爺さんが一人でやっていた。新聞社を定年退職して,暇つぶしにやっているという。店構えは,昔の駄菓子屋である。おそらく,駄菓子屋をやっていた家を購入し,そのまま貸本屋にリホームしたのだろう。リホームと言っても,本棚を壁に置いただけだが。でなければ,もともと爺さんの家だったのかもしれない。マンガ単行本や小説が,壁全体に据えた本棚に,所狭しと並んでいた。週刊・月刊雑誌は,部屋の中央の広い台の上に並べて置いてあった。

 60年代末から70年代のことである。当時は既に,貸本向けマンガ本は廃れてしまっていた。店に置いてある本は,すべて一般の本屋に並んでいるものである。そんな商売が,当時は許されたのだろうか。ブックオフのように古本屋というものがある。古本には著作権が認められないらしい。一方,21世紀に入って,コミックを含む書籍レンタル店は,レンタル使用料を支払うことになった。だから私が中学生の時代は,貸本屋については,見て見ぬふりの状態だったようだ。一般市民に,無償で貸しだす図書館などは合法らしい。

 マンガ単行本は,1泊1冊30~50円で,借りた日の翌日返す。私は,マンガ本を初めて借りて読み,止められなくなってしまった。考えてみれば,気になるマンガは,たくさんあった。しかし,価格が高いので,買って読むのを我慢していたのである。これが,安く読めるのだから,はまらない筈がない。私は,たちまち常連客となった。

 店主はすぐに私を覚えた。私が,本を選ぶのに,やたら時間がかかったからだ。お金を出す以上,残念なものを借りたくないという,みみっちい性格である。私が店に入ると,一度,番台に出て来た店主は「ああ,まささんか」と言って,さっさと家の中に姿を消した。製本など,別の仕事を始めるためだ。ずいぶん信用されたものである。

 一度,知らないおばちゃんが,番台にいたことがある。店主の娘さんか,息子の嫁さんだろうか。私がいつものように,じっくりマンガ単行本を選んでいると「あんたみたいに時間のかかる客はいない」と苦情を言われたのを覚えている。なにしろ,借りる本が決まるまで,30分から1時間はかかるのだ。しかも,粘りに粘って,借りるのは1冊だけということも多かった(笑)。

 有り難かったのは,少女マンガと呼ばれる分野のものも,読みやすくなったことだ。店主に聞くと「男性でも結構,少女ものを借りていくよ」と言ってくれた。それから,私は,片っ端から人気少女漫画を借りて読んだ。正直,町の本屋では買うのが,はばかられた。

 やはり,女性に興味があったことは間違いない。しかも,男であっても,主人公の気持ちが分かった。更に,女性が描く少女マンガの勃興期であった。初期の頃は,大手出版社のマンガ雑誌には,男性が少女漫画を描いていた。手塚治虫藤子不二雄赤塚不二夫石ノ森章太郎望月あきらちばてつや巴里夫等々挙げればきりがない。それらをあらためて読んだ。水野英子は,初期の頃,絵が手塚治虫そっくりだった。彼女の「ファイアー」に感激した覚えがある。手塚治虫ちばてつやなどの人気男性マンガ家の少女マンガも読んだ。

 その後,10代の少女達が,プロとしてマンガを描きだした。雑誌社も,新人の発掘に懸命だった。やはり,男性が描くものとは,絵にもストーリにも違いがあった。また,新人だけに,絵がまだ上手ではない。それも,私を喜ばせた。まだ1つとして,最後まで描いたことがないのに「自分の方がうまく書ける」と勝手に思い,私は嬉しくなるのだった。

 山岸涼子もりたじゅん,忠津陽子,一条ゆかり,里中真知子,池田理代子などを読んだ。彼女たちの絵の中に,人物デッサンの未熟な部分を見つけては,ほくそ笑んでいた。当時,私が描く人物のイメージは,石ノ森章太郎だった。ちょっと,登場人物を真似てイラストを描いた程度なのに,もう自分の絵のつもりだった。「僕なら,こう描くのにな」と思いながら,新人女性漫画家の絵を見ていた。

 当時2階に,6畳の和室が,襖を挟んで2つ並んでいた。一方を私が使い,もう一方は叔父が居候していた。父の種違いの弟である。父とは15歳年下で,叔父と私もちょうど15歳年が離れていた。あるとき,叔父が私の借りてきたマンガ「カムイ伝」の単行本を読んだ。それが面白かったらしく,毎日1冊ずつ借りてくるよう頼まれた。白戸三平作「カムイ伝第1部」小学館ゴールデンコミックス全21巻である。お金はもちろん,叔父が出す。私もおこぼれ頂戴で,毎日読ませてもらった。セリフやコマ数,ページ数も多く,1冊でも読み終わるのに時間がかかった。かなりの巻数を読んだ頃,母がそれを見つけた。母は怒って,叔父に「勉強の邪魔になるから」と言って借りるのを止めさせた。私も叔父も逆らえなかった。まことに残念な思いをした。

 

 当時は,アニメの鉄腕アトムが終了した(66年大晦日)後で,アニメ人気が不動のものとなっていた。ハクション大魔王アタックNo.1サザエさんムーミン巨人の星,などを観た覚えがある。特に日曜の夕方からはTV漬けだった。17:00からTV実写版ターザン,18:00からハクション大魔王,18:30からサザエさん,19:00からアタックNo.1,19:30からムーミンである。さすがに中学生であるから,お勉強時間ということで,ムーミンは毎回見る訳に行かなかった。日曜は,夕方になると「明日から学校か」と寂しくなりがちだ。だから,これらの番組が救いだった。しかし,サザエさんが始まると,さすがに再び「ああ,月曜が来るのか」と憂鬱な気分になった。

 

 少女マンガも含めて,新人マンガ家が,10代でデビューする時代になった。大いに夢を抱かせてもらったものである。自分と歳が近い人たちが活躍すると,自分にも出来るのではないかとワクワクした。オリンピックの水泳で,10代の競泳選手が金メダルを取れば,「自分も」と布団の上で飛び込んだり泳ぐ真似をしたりした覚えがある。もっとも,当時はスイミングスクールなどなかったから,水泳は自力で覚えた。子供は,何にでも夢を見ることが出来る。今,歳を取ってみれば,いい年代だなと羨ましく思う。年寄りの知力や体力の衰えも嫌だが,「将来の夢」を見ることが出来なくなったことは,一番の無念である。

 中学に入ってすぐ,クラスメートがマンガ原稿を持っているのを見た。彼の小学校の同級生にマンガの上手な人物がいて,漫画家になる夢を語っているらしい。持っていた原稿は,その友人の絵を真似て,彼が自分で描いた物だった。綺麗にペン入れもしてある。その友人というのが,後に少年ジャンプで連載を持つことになるK君である。この時,やはり,歯医者の息子の絵を見たときに感じたことと同じ種類の感覚を持った。絵そのものは,歯医者の息子の絵よりも,ずっと上手である。絵は個性的で,プロフェッショナルに近い。そして共通しているのが,画面全体と1コマ1コマの絵の見栄えの良さである。とても綺麗なのだ。人物のデッサンが多少くるっていても,このように描ければ,自分も絵を描き続けていける,そう感じるのである。具体的に,言葉に表せないのが口惜しい。早速,刺激を受けて,彼を真似て描いてみた。しかし,ちっとも上手く見えないので,すぐに止めてしまった。

 K君は,別の小学校の出身で,中学でもクラスが違った。だから,私は,彼と直接話をしたことは無い。彼は高校卒業後,人気マンガ家のアシスタントになる。そして,二十歳を過ぎて,少年ジャンプに連載を持った。原作は別人である。彼のマンガには,お色気たっぷりな,可愛い女の子達がたくさん出てくる。彼女たちは,何かにつけてパンツをチラ見させるのだ。これは,そこそこヒットした。

 K君は,その連載修了後も,描き続けている。しかし,残念ながら,大きなヒット作は無い。また,そのほとんどが,原作者がいて,彼は作画専門である。話を作るのが苦手だったようだ。しかし,絵は大変上手で,女の子も可愛いから,それなりに仕事があったと見える。そうであっても,小学校以来の夢を実現したのだから,立派なものである。

 

 中学になって大変感激したのは,永島慎二の「漫画家残酷物語」である。60年代前半に,貸本向けに描いた短編マンガをまとめたものだ。この表題は,どういういきさつで決まったのか知らない。確かに,売れないマンガ家が主人公だ。時折,作者本人と思われる人物も出てくる。ただ,みんなが残酷な目に合うわけではない。大きなくくりで見ると,青春ものである。だから,この題目はセンスが悪いと思う。

 これまで私は,少年冒険活劇ものかギャグマンガしか見たことがなかった。貸本屋から借りて,少女モノ・恐怖モノも読むようになった。しかし,いずれも少年・少女が主人公である。当時の大手出版社のマンガ雑誌は,小中学生を対象としていた。一方,この漫画は青年が主人公である。扱うテーマも大人びていた。

 当時の貸本向けマンガは,一つの流派として,大人向けのものが多かった。いわゆる劇画と称した,リアリティの高いマンガである。そこでは,推理ものやサスペンスものが多い。当時としては,過激で残酷なイメージがした。私は,この時代よりも少し若い。だから,劇画マンガを見ることは少なかった。いわゆる,マンガの主流ではなかったのである。せいぜい白土三平や「さいとうたかお」くらいしか知らなかったし,雑誌「ガロ」も,読むことはなかった。

 この「漫画家残酷物語」は,それらのどれとも異なっていた。独特のもの悲しさがある。私小説風であり,推理ものも混じっている。そして,なぜか,垢ぬけたものを感じたのである。こういったマンガも成立するのだと,驚いた。

 あまりに感激した私は,父親に読ませようとした。「マンガを馬鹿にしてはならない,こういうものもあるんだ」と分かってもらいたかったのだ。しかし,父は「うんうん」というばかりで,読もうとしなかった。それはそうだ。当時の大人は,新聞の4コママンガ以外にマンガを読まない。マンガ本を開こうとすらしたくなかったのだろう。今の私も,同様である。昨今のマンガを高い熱量で読めと言われても,価値観を感じないので,手に取ることすらしない。

 さて,永島慎二に傾倒した私は,早速幾つかシナリオを書いてみた。私なりのカッコ良さは,主人公に難解な言葉を喋らせることである。つまり,意味がつかみ難い,哲学的なコトを主人公が話すのだ。

 丁度,中学を卒業する頃,学校の文集?への投稿依頼が来た。そこで,こしらえた「永島慎二・ライク」なシナリオを,小説風に仕立て直して提出したのである。そうしたら,国語のベテラン男性教諭が,突然私の所に来て「題目を『・・』にしたから」と言う。提出した文章に,題目を付けていなかったのである。私としては,題目など,どうでもよかったので,照れ笑いをしてうなずいた。当時,文集に創作を投稿する生徒は少なかった。あったとしても,子供っぽい童話のようなものだけである。私の『・・』は,それなりに他の生徒にショックを与えたようだ。おかげで,無二の親友もできた。今考えると,有り難いことである。

 その国語の先生を,私はよく覚えている。秋も深まった頃,三島由紀夫陸上自衛隊,市谷駐屯地で割腹自殺をした。非常にショッキングな事件であった。次の日,先生は国語の授業で,すぐにその話をした。先生いわく,三島は哲学的なとても内容の深い,美しい文章の小説を書く。と思えば,一方でエロスを前面に出した,いわば下品な作品を書く。なんとも,両極端な作家である。先生が,そう話した場面を,やけに鮮明に記憶している。もちろん,私は三島の小説など読んだことがなかった。だから,その本当の意味は分からなかった。

 

 当時のマンガで,スポーツ根性(通称スポ根)ものが流行した。中学校や高等学校のクラブ活動(今の部活)は,しごきや暴力は日常茶飯事だった。東京オリンピックのバレーボール,大松監督のしごきの話を私はよく覚えている。当時は,誰もが称賛した。もちろん,批判がなかったわけではない。現在ならば,暴力問題として犯罪ものである。しかし,やる方もやられる方もそれが常識だった。熱血指導者は,そういうものだという認識だった。厳しさの無い指導者は,むしろやる気がない人物と考えられた。そして,勝っても負けても,最後は監督と生徒が一緒に泣くのだった。

 印象に残っているのは,「巨人の星」そして「あしたのジョー」である。女性もので人気があった,「アタックNo.1」も読んだ。当時,原作者の梶原一騎高森朝雄)の,根性物のマンガの人気は凄かった。梶原本人も,ヤクザな人物だった。これらは,私が高校生になるまで連載が続いた。私の友人は,ジョーが最後にリングサイドに座って動かなくなる絵を,机の前に貼っていた。

 

 今でも,スポーツ少年団にはそういう指導者がいるらしい。小学生は,親に言わないのかもしれない。一方,上級生の下級生への暴力,いじめも酷かった。それは,現在も時折ニュースになる。しかし,当時は,大けがをしない限り話題にならなかった。

 大学新卒の女の子は,小学校時代にスポ少でバレーボールをやっていた。そして,女子児童であっても,叩かれたりボールをぶつけられたりしたという。「よくそれで我慢できたな?」と聞くと,「そうだね」と言って,他人事のように首を捻っていた。また,若い男性も高校時代に野球をやっていて,相当しごかれたらしい。その男性が言うには,卒業したあとみんなで集うと,叩かれた思い出で話の花が咲くという。そこまで行くと,気が狂っているとしか思えない。