SENSAIまさの備忘録

繊細気質まさの過去を振り返る

これまでのこと4 勉君(小学校)

 私の通う小学校のそばに日本庭園があった。昭和40年前後である。庭園は正方形で,高さ1.5メートルくらいのカラタチの垣根で周囲をおおわれていた。入口から敷地に入ると,砂利を敷き詰めた30坪ほどの庭があり,正面に,お稽古事やサークル活動に利用される木造平屋の日本家屋があった。広い和室や茶室がある.庭の左手がかなり広い日本庭園の入り口になっている。公園の一辺は,60~70mで,ほぼ正方形の日本庭園である。中央に湧水から水を引いて作った(と思う)大きな池,左手にその池から水が流入するように作られた小さな細長い池があった。池の周囲は直径50センチほどの上が平らな自然の石で囲われていた。入り口を正方形の右下隅とすると,対角線の角から左下隅にかけて2~3メートル小高くなっており,大きな池と小さな池の間付近は大きな岩で崖のように造園されている。そして,崖から降りたところが池の間の水路になっていた。水路付近には,古い松が植えられており,折れ曲がって,小さな池の上に枝が覆いかぶさっている。枝は,枝折れ防止用の支柱で支えられていた。

 当時のその日本庭園は,小さい子から小学生まで,近所の子供たちの格好の遊び場だった。トンボやセミ、蝶など様々な昆虫がいる.大きな池があるのでフナ,コイなどの魚、ヤゴや水生昆虫がいる。カラタチの垣根があるのでアゲハの幼虫がいる。ザリガニ,タニシなど,とにかく子供が大好きな生きものがそろっている。様々な種類の落葉樹が生い茂り,かくれんぼ,鬼ごっこ,“だるまさんがころんだ”などやり放題だ。放課後小学生が三々五々集まってくる。一方では魚釣り,一方ではザリガニ取り,方や鬼ごっこやかくれんぼ。また,水中をすくう網(潮干狩りで使う柄のついた網のようなもの)で,池の底の泥ごとすくい取り,池をかこっている石の上に泥をまき散らし,ヤゴやゲンゴロウ,小魚がいないか,その泥をかき混ぜる。池の周囲のほとんどの石は,泥で真っ黒になり,次の日は乾いて真っ白になった。庭は子供たちと共に生きていた。

 今は,きちんと清掃され,木々も剪定され,魚釣りなどしようものなら,管理人がすごい形相で飛んでくる。生命感のない箱庭になってしまった。

 

 小学校の低学年のとき,田中務君という同級生とよく遊んだ。優しい,いい子だった。彼は,家族と金物屋の裏の貸家に住んでいた。そこは,私の家と近かった。父親が音楽教師で,本人もチェロを習っていた。当時,田舎の街では,大変珍しい。

 

 私は,一人っ子で,わがままだった。一方、非常に憶病で、相手が強ければ服従し,弱ければ居丈高になった。年上や大人が苦手で,目を合わせることができなかった。大人から見ると,まことに可愛げのない,嫌な子供だったろう。勉君は,相手に合わせてくれる性格だった。したがって,二人で遊ぶときは私がすべて指図する格好になった。

 

 勉君とは,先述の日本庭園でよく遊んだ。もちろん勉君の他にも同級生などが一緒だった。あるときは,思い思いに宝物を持ち寄って,庭園のあまり人の寄ってこない場所に埋めた。そして,宝の地図と称して,なぞなぞの形で,その場所を探し当てる巻物を作った。

 

 家では,こたつを横にし,こたつかけを上からかぶせて,中に入り,戦車ごっこをしたのを覚えている。真っ暗な中で,運転や砲弾を打つ真似事をするのは,なかなか面白かった。私が指示を出し,勉君は,敵情視察に行かされたり,撃たれて怪我人になったりした。子供たちは,今も昔も自分たちで遊びを作る。

 

 テレビはほとんどの家にあり,少年少女漫画雑誌も週刊誌,月刊誌共に大量に出版され,プラモデルなども流行っていた。しかし,私の記憶に鮮明に残っているのは,外で遊んだ記憶ばかりである。同級生や,近所の上下クラスの小学生,また,中学生のお兄ちゃんたちと野球をしたり,庭園で遊んだり,近くの山へ虫取りに出かけたり,家の前の舗装されていない小路で遊んだ。仲よく遊ぶだけではない。意地悪をしたり,されたりした。

 

 勉君とは,4年生からクラスが変わり,そのまま遊ばなくなった。勉君が地元の新聞に載ったのは5年生の時だ。アメリカの男子留学生が,教生(近所の大学からの教育実習生かと思うが,なぜ外国人がいたのか記憶がない)として学校に来ていた。新聞の写真は,勉君を中心にして,彼が自分の学帽を,かがんだ留学生の頭にちょこんと乗せている場面を撮ったものだった。周囲を同級生がたくさん囲んでいる。みんな笑顔だ。私はそれを見て,うらやましく,また妬ましく思ったものだ。

 

 ある日,二人で自転車に乗って遊んだ帰りに,勉君の家に寄ることがあった。金物屋に向かって左手側に路地がある。そこを入って突き当たったところが勉君の家であった。借家までの狭い路地を,自転車を押しながら入っていった。金物屋のすぐ裏手に借家がある。通路から見ると,手前に庭が広がっていた。そして,家の左端から,ちょうど狭い通路にかかるように,盆栽の棚が置いてあった。3段ほどあったように思う。通路からの出口を少し塞いでいる。正面に見える縁側に,勉君の父親と祖母らしい人物が見える。私はそれを見て緊張した。勉君が先に通路から出た。それを追って,私が自転車を体の左側にして出た。

 

その時,

 

「こらぁ!」

 

急に父親と思しき男性に怒鳴られた。私は,最初何が起きたのか分からなかった。後ろを見ると,棚から何かが落ちていた。盆栽の鉢の一つが落ちたのだ。どうも,自転車のスタンドが鉢に引っ掛かって落ちたらしい。私の頭は真っ白になった。声だけがエコーのように聞こえる。どういう教育をしているんだ。親の顔が見たいわ。いいんだ,いいんだ,心配すねで(おばあちゃんの声)。いいんだ,いいんだ(勉君の声)。私は,下を向いたまま,硬直した。人の声だけが聞こえてくるが,頭の中は真っ白だ。

 私だけが,暗闇の中に浮いている。自転車にしっかりつかまり,下を向いて黙っている。父親の声だけが聞こえる。どんな教育をしているんだ。謝ることもできないのか。

 

 その後,どうやってその場を抜け出したのか,私にはまったく記憶にない。